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観光 
オラクル・ナイト
グレート・ギャツビー
苦海浄土
石牟礼道子対談集―魂の言葉を紡ぐ
ソラリスの陽のもとに
幻影の書 
久生十蘭短篇選
少年キム







少年キム      ラドヤード・キプリング    斎藤 兆史・訳


少年キムは、英国人として生まれながら早くに両親が亡くなったために、混沌の国インドでその生命力と聡明さとで生き抜いてきた。キムの住む街にやって来た僧ラマは、仏陀の放った矢が湧き出させたという伝説の聖河を探す旅を続けている。
出会って瞬時に双方とも互いを師弟と認めたに見えるこの二人のやりとりを楽しんだ。二人は年月をかけて一緒に旅をする。
背景のインドはお伽噺の国のように描かれている。これについてはもっと深い読み方があると思うのだけれど、あえて二人を読んだ。

旅の果て、数珠すら重く感じるまでに年老いたラマは神々しい。
師匠のために充分に尽くすことが出来なかった以前の自分を悔やむ弟子の様子は美しい。
キムを教え、諭し、慈しむラマも、賢い弟子に頼れてこそ困難な旅をすることができた。この師弟愛と、西洋人の描く仏教の神秘が印象に残っている。

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久生十蘭短篇選          川崎 賢子・編集



作者の名前の読み方すら知らずに居りました。ちなみに ひさおじゅうらんさん。
達人ですのに…、失礼いたしました。

当時としては相当にハイカラさんだったようで、誰でもが書けるという内容では無いでしょう。
面白くて二度読みました。語りのリズムがとてもよく、文章がきれい。

お気に入りは「黄泉から」と「ユモレスク」、お盆のころにまた読みたいような。
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幻影の書       ポール・オースター     柴田 元幸・訳



構想がしっかりしているから、読み応えがある。
「幻」の多彩なあり方をたくさん考えさせられた。
実在もやがて証しとなるものがはかなくなれば幻になる。
物証、記録、記憶、どれもいつかは消えてゆく。
ことのほか心に残るのが焼失の無念。
その後の幻。


主人公はデイヴィッド・ジンマー、妻子を事故で亡くし絶望のどん底にいる男。もう一人の主人公ともいえるヘクター・マンの調査に没頭することでデイヴィッドは救われてゆく。

ヘクターは無声映画時代に多少の作品に出演したまま突然行方不明になった俳優。充分に才能を開花しないまま世間から身を隠したヘクターは、人生の後半で映画を作った。世に出すことは仮定しないで撮られた作品だった。

オースターの十八番、今回入れ子になっているストーリーは、その映画だ。これがまた見事に完成度が高く、緻密に練り上げられている為に、第二の主人公の現実と危うく見誤りそうになる。

その他の重要人物は、ヘクター・マンへの歪んだ愛情を自分のやり方で昇華させようとするフリーダと、デイヴィッドとヘクターをつなぎ合わせたアルマ。
アルマは、布石はあったにせよ目の前に現れてからはたった8日間だけ一緒に過ごしただけで、デイヴィッドの生き方に影響を与えた。彼女もまた彼の記憶の中にだけ実在する幻影のようだ。

私の中ではオースター作品のベストに躍り出ました、ブラボー!

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ソラリスの陽のもとに     スタニスワフ・レム  飯田 規和・訳



たゆたっている宇宙の海。
心の鏡。
相手の様子で姿を変える、どうやら全てこちらの心次第。
無反応であるかに見えて、実はこうして応じているのか。
そう思えば思うほど、引き込まれて。
虜に。

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石牟礼道子対談集―魂の言葉を紡ぐ

光になった矢を射放つ(語りおろし)
まず言葉から壊れた(野田研一・高橋勤)
原質を見失った世界で(辺見庸)
生命の根源はどこにあるのか(辺見庸)
死なんとぞ、遠い草の光に(季村敏夫・範江)
色は匂えど(志村ふくみ)
『椿の海の記』をめぐって(原田奈翁雄)
落ちてゆく世界(リヴィア・モネ)
非現実の時間 現実の時間(瀬戸内寂聴)
「先生、どうして泣くと……」(三国一朗)
土に根ざしたエロス(小川紳介)
「魂たち」の海(加納実紀代)
われわれの行く手にあるもの(佐藤登美)
水俣の海の痛み・魂の痛み(森一雨・天田文治)  

感性が、伝わる。
作品を生み出す感性が。
今の日本人に薄まってきてしまった心も
押し付けるのではなく。

読もうと思ったのは対談者の中に辺見庸氏を見つけたこともあった。
東日本の震災のあと、新聞の文化欄に宮城出身の氏の文をみて心を動かされたからだった。

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苦海浄土                 石牟礼 道子

私は、この作品が水俣病被害を描いた作品だということを知らなかった。
知ってからも、周辺を取材したドキュメンタリーだと思い込んでいた。
でもそれは間違いでした。

内側から吹き出てくるような被害者たちの思いの丈。聞き書きのような印象を受ける語りの部分は圧巻だった。作者の筆は被害者たちの魂を汲み取り、たたみかけるような長い悲痛なせりふを綴っていた。つらく悲しく、かよわくやるせない、それは文学だった。
つらい怒り、悲しい怒り、かよわい怒り、やるせない怒り。表現できない怒りの代弁。

あるインタビューで作者はこう言った
「重荷でございましょうけれども、お読みいただければ幸いでございます。」

裁判や交渉事以前に、どれだけ不条理にさまざまなものと闘わなくてはならないか。
ほんの半世紀あまり前のことだ。日本にこんなことが起こって、未だに全てが終わったわけではないことを、私たちは忘れてはいけないし、時に振り返り立ち戻る必要だってある。今、進行中の「福島」の問題とてらしてもこの作品が過去のものではないことがよくわかります。

文庫で読んでいた最中に、書店で池澤夏樹編集の世界文学全集に入っているのを見つけた。これなら第二部「神々の村」、第三部「天の魚」をあわせて読める。
世界へ。

<110601>





グレート・ギャツビー
   
         スコット・フィッツジェラルド   村上 春樹・訳
  
純粋すぎた彼。
たった一つの目的の為に、ある種アメリカンドリームを実現したギャツビーだったけれど
求めている間が幸福の時だったのかも知れない。

ギャツビーの葬儀に弔問客はなかった。
悲しげなギャツビーの影が、私たち第三者に気付かせることはいくつもあるのに
彼には見えなかったことばかり。

語り手はギャツビーの華麗な屋敷の隣に住むことになった「僕」だ。
冒頭に気になる言葉があった。
「僕」が父から言われていた言葉。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。
「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」

「僕」は「深い意味がこめられている」と察しをつけているが、確かに考えれば考えるほど
意味深いことのように思えてきた。

表紙は和田誠さん。(二枚目の画像のもの)


昨夜、児玉清さんの訃報が流れた。
読書家だった児玉さんに、合掌。

<110518>






オラクル・ナイト          ポール オースター   柴田 元幸・訳

素敵なブルーだ。まず、装丁が美しい。
主人公は小説家。病み上がりの彼は、新しい青いノートを手にしてようやく何かを記し始めるまでになったが、書き始めればたちまち物語の渦の中に。
読者も然り。主人公の作り出す物語もひとつの軸となり、入れ子の魅力満載にストーリーはどんどんスピードを上げて展開。息をつかせない。
本来、構造が複雑な小説はあまり好きではないはずなのに、オースターは特別なんだろうか、本当に面白い。こちらの気分にも波が起こり、乗ったり引いたりで魅かれる、読まされる。
小説内小説は、小説然としていなくて、客観的、多少状況説明文的で、それがまたスピードアップに良い具合。これは翻訳の冴えでもあるのか。

この話の最後は終着点ではない、書中の「オラクル・ナイト」が未完であるように。

「言葉には現実を変える力がある。ゆえに、言葉を何よりも愛する人間が預かるには危険すぎる…」(p.217)
「思いは現実なんだ」「言葉は現実なんだ。…私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのでなく、未来に物事を起こらせることなのかもしれない」(p.218)

<110412>





観光    ラッタウット・ラープチャルーンサップ    古屋 美登里・訳

すごいと思った。
鋭い感性と圧倒的な筆力だ。本能的に書いていると言っては失礼すぎる、でも本能がもたらす才能なんじゃないだろうか。
「ガイジン」
「カフェ・ラブリーで」
「徴兵の日」
「観光」
「プリシラ」
「こんなところで死にたくない」
「闘鶏師」

うなったのは「徴兵の日」と「こんなところで死にたくない」の2編。
奥深さを称えるべきは、たぶん他の作品だと思うが、あえてこの2編の心理描写に小説としての豊かさを味わったので記録します。

タイの作家の作品を読むのはたぶんはじめてだ。
もう一回読もう。

これからはどんな著作活動をするだろう?またタイを描くだろうか?
ゆっくりでいいので次作を待っています。

<110327>







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