4. Milano

ミラノの宿は、規模の大きなアメリカンスタイルの☆☆☆☆ホテル、部屋もベッドも今までで一番大きい。場所はドゥオーモから地下鉄で一駅ですが、これは充分歩ける距離で便利です。

ミラノの中央駅、そう聞いただけで私はロマンを感じてしまう。なぜだかついこの間までうちのPCの壁紙はこの駅の写真だった。特徴のある天井、ホームの番号の表示板なども、懐かしいような気がした。やはりここもローマのテルミニ駅のような終着駅型の駅だ。改札を抜け階段ではなくエスカレーターを探し1階降りたところにタクシー乗り場があった。雨はだんだん激しく降り始めるし、もう充分暗くなっていたので良くわからないが、外の景色は今まで旅してきた街に比べるとモダンな感じがした。 


11月24日

朝、食事に下りて行くと、コーヒーをサービスしてくれたウエイターさんが「コンケンカンカン…」と言う(わたしにはそう聞えたのだ)、Kちゃんと私は顔を見合わせたが、それが「ご機嫌いかがですか?」だということに気がつくのには多少時間が必要でした。そこでしばし日本語ワンポイント講座。

 この日はまず、ドゥオーモの前を経由してサンタ・マリア・プレッソ・サン・サーティロ教会。Kちゃんが私に見せてあげたいと言ってくれていたところの一つです。小さな教会ですが、ここには不思議なしかけがありました。以前M夫妻から『芸術新潮』(新潮社 2001年8月号)を戴いたのですが、そこに載っていた教会です。入り口を入ったところから見た祭壇には特に変わったことはない、「普通の祭壇でしょう?」と言うKちゃんとだんだんその祭壇に近づくと、あら不思議。十字型かと思っていた礼拝堂は実はほぼT字型で、奥行き10m位に見えていた祭壇後陣はわずか80cm位しかない。壁面の描き方や作り方による絶妙のマジックなのだ、この遠近法はローマで見た『三位一体』の絵どころではない、だまし絵と言ってよいでしょう。敷地が足りない関係での苦肉の策らしいのですが、そうとわかって元の場所に戻って見ても、どうしても奥行きが80cmとは信じられない完璧さです。

もしミラノに行かれたら、ドゥオーモからそれほど離れていません、是非この教会を訪ねてみてください、不思議ワールドです。


十字に見えた礼拝堂は
実はT字型だった
(ピンボケ写真m(__)m)



この後私たちはドゥオーモから地下鉄に乗り、サンタンブロージョ聖堂に向かう。私は日本にいてもいつも地下鉄駅から出てきたところで、方向を見極めるのに時間がかかります。ちょうどそんな時、年配の女性とパチッと目が合った。表情を変えないまま目だけが「どうしたの?」と聞いてくれていた、と思う。サンタンブロージュ聖堂を尋ねると「これから行くところなので一緒に行きましょう」と言ってくれた、らしい。こういうことが旅の思い出になるのです。

目的地の聖堂は、雨にぬれて色が濃くなったレンガが少し暗く感じましたが、堂々としたたたずまいでした。なかも大変広く立派です。
祭壇の奥を通ってぐるりと教会内を歩けるようになっているのが珍しい作りだと思った。ちょうど祭壇の右側にさしかかったとき、右奥にもう一つ鉄の門を開けて入る礼拝堂があるのに気がついた、恰幅の良いおじさまに料金をお支払いして入ってみると教会の特別な所蔵品が展示されていたが、私達が礼拝堂の天井画の下へ行ったのを見計らって、さっきのおじさまが明かりをつけてくれました。その天井画はすばらしいモザイク画で大事に保存されています。





そこから次の目的地スフォルツェスコ城に行くのは、晴れていれば歩いても良いが、雨が激しくなってきたのでまた地下鉄に乗ることにする。けれど駅に行く途中二人はたぶん同時に、あるBarを見て「休憩しよう」と考えたようで話はカンタンに決りました。席についてみたらなかなか居心地が良く、結局軽くお昼をすませることになる。
焼いた野菜の1品とトマトとチーズの一皿、それにパン。Kちゃんの飲み物はラッテ・マキアート、私はコーヒー。Barは本当に便利です、日本にもあっても良いと思うのだけれど。 

外は雨が降り続いていたが、いつまでも休憩してはいられない。地下鉄に1駅乗ってスフォルツェスコ城へ行く。ここにはKちゃんが私に見せてあげたいと言ってくれていたもう一つの目的『ロンダニーニのピエタ』がある。ミケランジェロの遺作で未完です。本物を生で見たとき、そのものがはなつ「すごさ」を私も感じたかったのですが、残念ながらこの日は休館日でした。

外側を見た限り、スフォルツェスコ城は単に城壁かと思わせるほど堅牢でシンプルという印象です。優雅とか贅沢というのとは遠い、甲冑を着けた騎士や馬のいななきが似合いそうな建物でした。












路線図を見ながら乗り換えも出来たし、地下鉄の乗り方も慣れた私達はまたそれを利用して、中心地へ戻りドゥオーモに向かった。現在ドゥオーモのファサードはスッポリと白い布で覆われています、補修というより清掃だと思われます。残念ながら正面からその姿を見ることはかなわないので、広場を突っ切って中へ入る、ステンドグラスの美しさが印象に残っています。一つひとつが大きい上にその数が多い、その内容はわかりませんが、それぞれに物語が描かれているのだと思い想像しながら見て歩きました。

 ドゥオーモの周辺はショッピング街。ガレリアをはじめデパートのリナシェンテ、スーパーのオートグリル、他にも個別のショップが建ち並び、見て歩くだけでホントに楽しくていくらでも時間が過ぎそう。ガレリアの中の本屋さんや、額装の絵などを置いている店や、色合いのきれいなショーウインドウのブティックなどを心ゆくまで見て歩く、最後に入ったPeckという高級食材のスーパーはKちゃんのお気に入りらしい。入口に「写真撮影お断り」の表示があり、どうしてなのかと不思議だったが、入ってみて納得。何から何まできれいに飾られている、持ち帰り用のお料理まで本当に美しくレイアウトされている、思わず写真を撮りたくなった時、「だから表示があったのね」と二人で言い合った。





ミラノ ドゥオーモ
今は裏側からしか見られない

その日は、ホテルのフロントに「近くて、生パスタが食べられるレストラン」という条件でお店を探してもらった。行ってみると多少予想以上に高級そうなお店だったけれど、笑顔で迎えてもらってゆったりと食事が出来て、Nuovo Romaniはとっても良いお店でした。

Kちゃんはカメリエーレに説明します「たくさん食べられません、残しては申し訳ないので、一人分を二人で戴きたいのですが…」。希望は理解されました、日本人の胃袋は小さいのよってことがわかってもらえた上に、きれいに半分づつがお皿に盛られて出てきます。こうして私達はちょうど良い分量の夕食を楽しめました。

アンティパストにプリモピアットとセコンドピアットを半分こ、なぜかドルチェは一つづつ。そして仕上げにエスプレッソ。

店内のインテリアがしゃれていて、お料理を待っている間に思わずちょこっとスケッチさせてもらいました。帰る頃には雨が小降りになっていた、おいしいものを素敵な雰囲気のお店で戴いて、お腹いっぱいで幸せな私たちは、石だたみの道をホテルに向かい歩いて帰ったのでした。



Nuovo Romaniのインテリア

洗練されていた

11月25日

この日は、約束がありました。Kちゃんの、今はイタリアに帰国されているイタリア語の先生の甥っこさんご夫婦とお目にかかる予定です。Kちゃんとご夫妻は、まだ先生が在日中にKちゃんが東京下町情緒をガイドして以来のお知り合い、勿論私は始めてお目にかかりますが、同行します。

約束は午後2時、それまで昨日の観光のつづきです。
実は前日休館日で見られなかった『ロンダニーニのピエタ』に会いに行ったのですが、今回はどうもご縁がなかったようだ、修復中で展示されていませんでした。私よりもガッカリした様子のKちゃんは思わず帰りかけたけれど、「他にもたくさんあるからどうぞ」と館員の女性に促されてそうすることにする。私はイタリアへ行ってから建物に入ると天井を見上げるのが癖になった、ここにも素敵な天井画を発見する、くだものや花柄の愛らしいデザインが新鮮に感じられ、とても気に入った。 

           
                
スフォルツェスコ城の天井画
                        男性的な外見の城にこんなに可愛らしい絵が

このお城の装飾にはレオナルド・ダ・ヴィンチが関わっている部分あるそうで、その中の一つに、作られた当時はどんなにきれいだったろうと思う部屋があった。壁も天井も薄い緑色に彩色された優しい雰囲気の部屋でした。そこにいると私はちょうど葡萄棚の下にいるような気持ちになったのを今でもよく憶えています。
壁際のベンチに腰掛けて天井を見上げていた間に日本のツアーが三つほど通りすぎる、観光スポットらしいけれど、やっぱり『ロンダニーニのピエタ』がお目当てなのでしょうか?

 お城をあとにして徒歩で次に向かったのは私設のポルディ・ペッツォーリ美術館。個人のお屋敷だったと思われる建物に中世貴族の優雅な生活が感じられる。それにしても個人所蔵にしては素晴らしいコレクション。ボッティチェッリあり、マンテーニャあり。心に残る絵画がふたつ、マンテーニャの聖母子像と美しい女性の横顔の肖像です。マンテーニャの描いた子供の、安心しきって眠りこけている表情といったら、子供はやはり天使だと思う。横顔の肖像画はこの美術館の看板、持ち主の知り合いの女性なのでしょうか、美しい絵でした。ちなみに帰国後絵はがきを写メールし、現在この絵が私の携帯待ち受け画面です。









『聖母子像』
マンテーニャ作





『若い貴婦人の肖像』
ポッライウォーロ作

このあとブランド・ショップで有名なモンテ・ナポレオーレを通ってドゥオーモへ戻り、昨日の高級食料品店がやっているレストランPeckで昼食にする。

雨が降り続くミラノで、傘をささずに歩く人を見かけるたびに、須賀敦子さんのエッセー集『トリエステの坂道』の一節を思い出した。新婚の彼女がある雨の晩、傘を持って夫ペッピーノを駅に迎えに行くが、彼は確かに彼女の姿を見たはずなのに雨にぬれながら彼女の脇を通り過ぎて行ってしまう、そんなシーンだった。 

雪ならまだわかるのだが、霧雨でも小雨でもない、しっかり降っている雨に濡れながら歩く人が確かに多かった、他の街ことはわからない、私達が雨に降られたのはミラノだけだったのだから。

約束の2時にDさんに会う。ご夫婦のうちのSignoraがホテルまで迎えに来てくれました。挨拶のあとロビーで「どこへ行こうか」と話し合う。

実はこの旅行で私には是非買いたいものがありました、それは靴。イタリアの靴はデザインがきれいだし、革も良いし、色も好きです。それを聞いたDさんは、お勧めの靴屋さんに連れて行ってくれた、嬉しかったです。私もKちゃんも好みの靴を見つけることが出来て、本当にDさんのおかげでした。履き易そうでデザインもきれいな靴、何だかもったいなくてまだ履いていません。

Dさんとの観光はサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会だった。地下にローマ時代の基礎を、天井にはモザイク画を残している4〜5世紀の建造物。

Dさんはミラノから電車に乗って約25分ほどのサロンノという街に住んでいられる。私達がミラノをある程度見てまわったことを知ると、Dさんは急遽「サロンノに行って見る?」と誘ってくれた。これは旅先の嬉しいハプニング、住んでいる人にその街へ連れて行ってもらえるなんて! サロンノは落ち着きのある、程よい広さの街とう印象です。電車で25分でミラノの中心へ行かれるのだから、申し分ないロケーション。Dさんは衣料などの買物も含めて、日常の用事は全部この街で済ませることが出来るらしい、とても便利なところです。駅のそばの商店街でKちゃんはショウ・ウインドウに飾られていたセーターが気に入ってお買い上げ。私も食器屋さんでエスプレッソのカップ&ソーサーをゲット。

Dさんは携帯電話でご主人のGさんと連絡をとっていた、仕事が終わったらGさんがサロンノに来てくれることになったそうで、私達は新しく出来たというBarに入ってGさんを待つことになった。その店の目玉はチョコレート・ドリンクだったようだけれど、とても甘そうなので全員辞退、Dさんにオーダーを任せたところ食前酒を頼んでくれた。オレンジベースの華やかできれいな飲み物がカナッペやポテトチップやオリーブの実と一緒に出てきたので、思わずスケッチ。

 Gさんはもの静かな、思慮深そうな紳士、Dさんは明るくて可愛らしい、ふたりともそれぞれ良いお父さんお母さんになりそうな、お似合いのご夫婦。私達4人はGさんが予約してくれていたサロンノのレストランに行き、お勧めのお料理で夕食の時間を過ごしました、よい思い出です。

 Kちゃんと私は二人でミラノへ帰るつもりでいましたが、ミラノにあるDさんのご実家へふたりで行くからといって、ご夫妻は私達をホテルまで送ってくれました。心遣いに感謝しています、サロンノ行きは楽しく気持ちの良い体験でした、本当にどうもありがとう。

ミラノの、イタリアの、最後の夜が更けて行く、長いような短いような13日間も残すところあと1日になった。

 


こんな食前酒は見たことがない
きれいで楽しくて
話も弾む

11月26日

ゆっくり起きて、ゆっくり朝食。
お昼にはホテルを発つので、それまでの時間はお土産など最後の買い物に街へ出た。買いたいものは大体決っている、スーパーでクリスマス用に出まわっているチョコレートのお菓子や、パスタ用の香辛料、レンズ豆も売っているところがわかっている。
最初に行ったのはガレリアそばの文具店、本当は画材を見たいと思っていたがその店では扱っていなかった。エッチングのカードを数枚買う。

最後に約一時間、12時前にホテルの部屋で会うことにして二人は別行動をしてみた。
四人で訪ねたイタリア。いつも誰かと一緒にいたけれど、はじめて一人で異国を歩いている。ふと東京生まれの私が、夫の転勤で札幌や福岡へ行った時のことを思い出した。札幌の大通りや福岡の天神をはじめて一人で歩いた時の記憶がよみがえった。何て説明したら良いかわからない、こんなときどうやら私は深呼吸をするようだ。

 ホテルに戻るとKちゃんはもう先に帰っていた。荷作りをして出発。
タクシーでチェントラーレ駅まで行き、リムジンに乗り換えて『幸せ』の待つミラノ マルペンサ空港へ。さて、『幸せ』とは?
多少早めに空港に着いたつもりだったのに、搭乗手続きに行くと「もう席がない」。ビックリした次の瞬間聞いたのは「前の席をお取りしましょう」という良い知らせだった。かくして私達はビジネス・クラスの席をゲット、これは『幸せ』といえるでしょう?
     

                  ***

 帰ってきてから、もう約1ヶ月が経とうとしている。
「忘れないように、忘れないうちに」と書いてきたこのメモもやっとおしまい。書いている間はまだイタリア熱の中にいられたけれど、これからこの熱はどうなるだろう。
今はただ「また行きたいな」と思うばかり。


2003.12.23 3:00


ミラノのホテルから
右下の屋根は売店は
毎朝の五時頃から
開店の準備をしていたっけ
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