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指輪物語
供述によるとペレイラは
R.P.G.
その細き道
Tuesdays with Morrie
ドリナの橋
時のかなたの恋人
須賀敦子のミラノ
須賀敦子のヴェネツィア
夢顔さんによろしく

夢顔さんによろしく   西木正明

お友達から勧められた本、推薦本は大抵期待を裏切らない、ニ段組というのは読む充実感を満たしてくれるし…。
西木さんの著作を読むのは始めてでした。ジャンルはドキュメンタリー・ノベルというそうですが、この言葉良く考えたら面白いですね。だって、史実の人を描けばどうしたって多かれ少なかれフィクションが混ざるでしょう? そういう意味でとても正直。

さて、その主人公は戦前3度も内閣総理大臣を務めた近衛文麿氏の長男近衛文隆氏です。近衛家は由緒正しい大貴族。その立場故に当時の普通の日本人とはだいぶ違う生活ぶりだったわけですが、又その立場に運命を左右されたと言っていいのでしょう。アメリカ留学や上海での中国との関わり,捕虜としてのロシアでの生活からその死までがドラマティックに描かれています。人柄も魅力的で、本当にこんな人が希望通りに後に政治家になっていたら、と思わされる部分もありました。

それにしても、全編に吉田茂から始まって、西園寺公一、ゾルゲ、尾崎秀実、孫文、蒋介石、汪兆銘など歴史上の人物の名前がたくさん出て来て、自分の曖昧な知識には閉口と同時に反省。
題名になった謎の言葉「夢顔さんによろしく」とは何なんだろう?それを知りたさに読みました。

戦争は悲惨で、悲しい記憶ばかり残します。目をそむけたくなる現実ですが、文学でも映画でも絵画でも、やはりそれをあえて残していかなくてはいけません。シベリアで捕虜となった方達も、この本にも出て来る哈爾賓(ハルピン)や牡丹江(ボタンコウ)で心に傷を負った人々も今はもう高齢になっていられるし、そのうち体験者から何かを語ってもらうこともできなくなります。
こういう小説を折角読んだのだから、苦手だと決めつけないでもっと近代の歴史を知る努力をしなければ、と思った一冊でした。
<020719>


須賀敦子のミラノ
須賀敦子のヴェネツィア
  共に 文/写真 大竹昭子

妹がプレゼントしてくれた本、写真が美しい。
作家に限らず、誰か自分にとって大切な人の生活のあった場所、旅した場所などを後を追いかけるように訪ねることができたなら、そうすることによってしか得られない何かがきっとあるはずです。
この本全体から須賀敦子さんの目と、作者の目を通して見るイタリアの街の雰囲気が味わえました。静けさを感じさせる写真に心が安らぎます。でも、ミラノもヴェネツィアも私のイメージよりちょっと暗い・・・。行って確かめたい気分です。
<020630>



時のかなたの恋人 ジュード・デブロー 幾野 宏訳

面白かった!
予想していたストーリーがほぼ半分あたりで展開してしまって(私の読みが甘いのね)まだその先があったものだから2倍楽しめたという感じ。
細かいところにとらわれずに、どーっと読み進めるのがピッタリの読み方かと思います。「えっ?そんなぁ」と思うことがあっても立ち止まってはいられない、どんどん読まされてしまうっていうタイプの本。タイムスリップで出会った16世紀エリザベス時代の貴族と現代アメリカ女性の400年の時を隔てた恋愛物語。設定として面白さの要素充分でしょう?
二人の恋がどうなったのかはナイショにしておきましょう。
<020623>



ドリナの橋   イヴォ・アンドリッチ  松谷健二訳

古いがしかし堅牢な、大きな建造物を見るたびに、当時の人達はどうやってこれを造ったのだろうかと思う、橋もそのひとつ。
渡し舟しかなかった川に何年もかけた大工事の末、橋が架けられた。大きくてしかも美しいその橋は、いつも変らずそこに在って何世代にも及ぶ時代の流れを見守っているようだった。
ボスニア出身でノーベル賞を受賞したイヴォ・アンドリッチは、橋の架かっていた国境の街ビシェグラードの400年を、そこに住んでいた人々の視線で描いています。その地が民族、宗教の問題で昔から現在に至るまで困難を背負っていることを思うととても重たい小説です。橋の美しさが救いだと思いたくも、その橋自体戦争の為に破壊されてゆく様は、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの混乱と苦しみを予感させるようでもありました。

ドリナの橋にはまんなかにカピアと呼ばれる少し広いスペースがあり、どの時代にも人々はそこに憩いや語らいの場を得ていました。橋の上に人々の生活があるのが面白いと思います。日本にもそんな橋はあるのでしょうか? 以前プラハのカレル橋に行った時、橋の上の賑わいを珍しく思いました。観光客が多かったこともあるのでしょうが、ただ川を渡るとういうだけでなく、何か足を止めて景色を眺めたりひと休みしたくなるようなそんな魅力を持った橋っていうのがあるのだと思います。

「橋を築くというのは、井戸を掘ることの次に大事なことなのだ」とありました。そして「どの橋にも天使がついている」のだそうです。「天使が橋を守って」いるそうです。川だけでなく人、国、いろんなものに架けられている橋、大切。

「人生はとらえ所のない奇妙なもの、なんとなればそれは絶え間なく消耗し流し去るから、だがそれでも人生は存続し、≪ドリナの橋のように≫確固としたものである、という哲学。」P.99
<020613>


Tuesdays with Morrie   Mitch Albom

16年ぶりに訪ねた恩師が、死の床より授けてくれた最後の授業。
教科書のないその授業のテーマは、人生の意味を探るヒント。
こう書いたらなんだかとても硬く難しい感じだけれど、先生は人生の終盤を心豊かに生きていて、その生き方を見せてくれ乍ら思うことを語りかけてくれていた。
最後の授業をこうして丹念に仕上げて行くかに見える様子から、モリー先生のそれまでの授業ひとつひとつもきっと丁寧にされていたに違いないと思います。

私が祖母と最後に会った時、祖母ももう寝たきりの状態になっていました。
頭ははっきりしていましたが身体は動かず、昼も夜も深く眠れない様子で、部屋にひとりきりの時どんなことを思っていただろうと、今でもよく思います。私は祖母の隣りに横になり、その時祖母は周りの人達ひとりひとりとの想い出を語り、それぞれに感謝の言葉や伝えたいことを話しました。
私は少し緊張し、忘れてはいけないと思って密かにメモを取ったのを憶えています。それは静かな、忘れられない時間です。この本を読んでいて、祖母とのその時間を思い出しました。
あの時は祖母がたくさん語りかけてくれたけれど、
モリー先生の言葉 You talk , I'll listen 私も祖母のお墓へ行って、何気ない話をして来たくなりました。

もしも今、一日だけ健康な日を過ごせるとしたら、どう過ごすかと尋ねられたモリー先生は、ごく日常的な平穏な一日を望みました。無意識に経過している普通の人達の時間が、どんなに大切なかけがえのないものなのか、
失ってからでないとなかなか気付けないその価値を思います。
There is no such thing as "too late" in life.
<020523>



その細き道
  樹のぶ子

「細く窮屈な道を全うするには、並々ならぬ心の緊張や覚悟が必要で、狎れあうことを潔癖なまでに遠ざけ、刃を自分達に向け続けるくらいの意志がなくては、思いやるために秘すなどということができるはずはなかったのだ。」
「時を青く染めて」「億夜」で三部作とするなら、第一部となる訳ですが、読むのが最後になりました。ちょっと古くて本屋さんでもなかなか置いてませんでしたから。(出版が1983年です)
札幌に住んでいた頃、樹さんと林真理子さんの講演会に行った事があります。札幌にはライラック文学賞という女流作家の登竜門的文学賞があり、お二人は渡辺淳一さんと共に審査員だった関係で札幌にみえた時の講演会です。二人共お話上手でした、林さんは笑いをたくさん取りました。
それから樹のぶ子さんをよく読みました。とてもおとなの恋愛小説作家ですよね。複雑な人間関係でないと、恋愛もなかなか小説にならないのかも知れないと思いながらも、多少樹ワールドが私にとって重くなってきていたのですが、今回この一冊を読んで改めて充実感を味わえる小説だなと思いました。短い作品で読ませてくれる作家はやっぱり上手な書き手なんだと思っているし、満足度高いです。他「遠すぎる友」「追い風」の2篇。
樹さんの小説にはところどころに植物が出てきます。私は木々草花の名前をたくさん知っている人を無条件に尊敬するので、樹さんもそのひとり。小説の中でそれらは生きています。
<020512>



R.P.G.  宮部みゆき

こんなに有名で人気の作家なのに、私はこの作品が始めてでした。
最初の方は説明的で面白くない、しかもいきなり殺人が起こって、これは私向きではないかもと思っていましたが、なんのその。
後半はドラマの脚本でも読んでいるかのようでした。カチカチカチと時計の音が聞こえてきそうな緊迫した状況の中で進行する狭い室内での様子がありありと目に浮かんできて、どーっと最後まで読み通させられました。
握った掌の中からひらひらと蝶のようなものが飛び立ったなら、それはまさにドラマのクライマックス。
<020505>



述によるとペレイラは アントニオ・タブッキ 須賀敦子訳

ファシズムの空気が濃くなってきた第二次世界大戦前のポルトガルで意識的に避けているかのように政治的なものから遠い生活をしているペレイラ。
亡くなった妻の写真に話しかけるペレイラ。
そのペレイラが、仲間でもないし、深入りもしたくないと言っているにも拘らずファシストから追われる青年とどんどん関わっていってしまう。
どうしてあの時縁を切らなかったのかと自問する相手なのに気がつくと何かと手助けしてしまっている。
この矛盾はユーモラスな程だけれど、とても分かるような気もして…成るべくしてなっているのに違いない、ペレイラの内面がそうしたいから。
淡々とストーリーは運ばれるので、最後に起きた事件の衝撃はきわだっています。
何かにつかれたように行動する時、人は本当に強い力を出せるもの。迷いはなく、落ち着きも感じられ、頭はさえ切っているのでしょう。

「過去に寄りかか」って生きるのではなく
「未来とつきあってごらんなさい」
キラ星のような言葉でした。

題の翻訳からしてひきつけられたし、訳者は須賀敦子さん。
読まずにいられなかった一冊。
<020422>


指輪物語  J.R.R.トールキン 瀬田貞二訳

 映画化を機に読み始めました。
読みたいと思っていたのにずっと先延ばしにしていたのは、ひとえにその長さ。でも、読み始めたらその長さは気になるどころか、続きが読みたくなるほどでした。
 手元にあるのは、今はもう書店では手に入らない旧版で全6巻、文庫ながら初版なので私的にちょっと大事本です。

正直言って読みにくい部分もありました。何度も前に戻らないとわからなくなりそうな内容や覚えられないカタカナ名詞。でも、それは壮大な物語には良くあること。難関は第1巻目だったようです、挫折するとしたら結構読み始めのあたりだったかもしれません。
何かを得るための旅ではなくて特別なものをすてるための旅、力あるものを捨て去ることこそ勇気、その設定に崇高なものを感じます。読者に情景を思い起こさせる描写はまるで魔術のようで、黒の乗り手、エント族、どこまでも美しいエルフ族の女性たち…語ればきりがありません。
翻訳も良くて、「ゴクリ」という名前とそのせりふ「いとしいしと」これは翻訳の絶品かと思います。
 エピローグと思われる部分にもたっぷりページがさかれているのは、作者が盛りあがる気持ち、あふれる言葉を残さず書きとめようと急いでペンを走らせたからかもしれません、読み手も幸せのうちに読みふけり時間を忘れます。
経験と自信で心に余裕を得た主人公フロドの優しさと、最後まで変わらぬサムの心使いに涙し、指輪を手にした者にしかわからない傷を思い出す時やはり物語りの続きを読みたくなるのです。
私のごひいきはサム、最初からサムでした。それから映画の黒の乗り手恐かった、原作のイメージピッタリでした。
<020418>



 
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