2. Roma


11月18日

ローマのホテルは☆☆だった。バスタブはなくシャワーのみ、これって☆☆で普通なのかな? シャワーのドアが不充分なので、お湯がシャワールームの床をビショビショにしてしまうのが気持ち悪い。使いにくいけれど「かつてドアのないシャワーもあった」とM夫妻。ヘェー!いろんなホテルも経験、経験。

しかし、翌朝ドライヤーを届けにM夫妻の部屋へ行ったところ、返事はすれども戸が開かない。内側からも鍵穴にかぎを挿して開けるタイプなのだが、回してもむなしくガチャガチャいうばかり、これは事件です。「夜中に何かあっても逃げられなかったぁ」と後からKちゃん。フロントに電話すると10分後、鍵の束をジャラジャラいわせながらホテルマンが走ってきたけれどやっぱり開かない。シャワーの戸より部屋の戸のほうが大事ですから、その日からM夫妻の部屋は変えてもらうことになりました。

 5時半ごろになると窓の下を通る路面電車の音が響く、観音開きの窓とグリーンの日よけを開けてみると外気は意外に冷えていた。まだ暗い中をもう人がだいぶ出ていたのは大きな駅のそばだったからかもしれない。

 今回のローマは、『ローマ散策』川島英昭著(岩波新書)が基本です。全員がこの本を読んで来ていました。読んでいるときからまるでローマを旅しているような気持ちにさせてくれる本で、これは旅行しない人にもお勧め本です。この本を片手にローマを歩きたかったというM夫妻に私達も異論はありません。

まずはカンピドリオの丘を目指します。
フォロ・トライアーノを見ながらヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂の前を通る、ちょうどイラクのテロで被害者となった兵士達の追悼の日だった為、記念堂の広い前階段にはたくさんの花束が手向けられていた。

いよいよカンピドリオの丘へ、教会へ続く左の階段と広場へ続くゆるやかな階段が微妙な角度で並んでいる。広場へゆっくり登って行くと、目の前に現れたのはマルクス・アウレリアス帝の騎馬像(これはレプリカ)だった。写真で何度も見たし、小説『黄金のローマ』塩野七生著の最後でこの像を丘へ運び上げるシーンが思い出される。ミケランジェロが手がけたといわれる台座にそっと手を触れてみた。

周囲をぐるりと歩いてから広場の奥に広がるフォロ・ロマーノへ下りて行く。なんて眺めなんだろう、古代ローマの町並みだ、ポンペイとはまた違った遺跡のおもむき。ここは大都市、政治の中心地、神殿や凱旋門などのスケールの大きさと言ったら、言葉を失う。古代人は偉大だと素直に思った。

右の方向、パラティーノの丘へと足を進める。ここは入場料が必要、でもだからといってひき返してはいけない、是非見てこなくては。私はこの丘が今でも印象的です。廃墟の美しさに酔いました、今思えばローマで一番好きなところだったかも知れません。

入った所とは別の門から外へ出てみると、見えてきたのはコロッセオでした。またしても写真や教科書でおなじみの建造物を目の当たりにして「ああ、これが!」と心の中でつぶやく。でも私はコロッセオの歴史を知らなかった、そこで行われていた残酷な闘いの話を聞いて、じっとその舞台となった場所を見ていたら、だんだん生々しくグロテスクな建造物の残骸という気がしてきて恐ろしくなった。


フォロ・ロマーノ
大きな遺跡に圧倒される

コロッセオ

パラチーノの丘はのどか

タクシーで時間を節約してテヴェレ川の向こうへ行く。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂の美しいモザイク画(ビザンチン風)はKちゃんのお薦めでした。ローマ最古とも言われるこの教会の建物は周囲と隣接して目立たないが、中は本当に華麗で、ひっそりと豪華という感じです。教会前の広場でこの日のお昼となりました。Ristorante GALEASSI、気温も外で食事をするのに丁度よく、日差しも暖かでお料理もおいしいし、私達も注文のし方(量の調節)に慣れてきて快適です。同じ広場内に「サバティーニ」の本店があって、東京支店のイメージよりきさくな感じのこじんまりした店構えでした。

日本でなら“流し”というのでしょうか、アコーディオンを弾く男の子は大変お行儀の良い子供で、店主に何やら話をしてから演奏を始めたらしい。腕前もなかなかでしばらく演奏してからテーブルの間を静かにまわった。私達からもご祝儀を彼の帽子の中へ。

 お腹を満たした私達はまた歩きはじめる。川沿いの道ヘ出て、川に沿って下ると「壊れた橋」(遺跡)が見えてきた、これも本の通りだ。岸辺で紅葉しかけている木が美しかった。

ローマ観光ではお約束の“真実の口”を見た後、円形のヴェスタ神殿のあたりでTちゃんが松ぼっくりを見つけてくれた。パラティーノの丘でも気になっていたのだ、ソフトボールほどもある大きな松ぼっくり。レスピーギの『ローマの松』という曲を思い出した、やっぱり日本の松とは違う。松ぼっくりを手に右へ大きく曲がるなだらかな坂を下り、再びカンピドリオ広場の階段の下へ出た。よく歩いている、万歩計を持ってきたら良かったと毎日思っていた。



サンタ・マリア・ソープラ・
ミネルヴァ教会前の
小象とオベリスク
サンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ教会の前のオベリスクは小象が背中にしょっている。ローマ人が見た象はどこから来たのだろう? ミネルヴァ教会ではゆっくり時間を過ごしました。ミケランジェロの彫刻もあるし、フィリピーノ・リッピの美しい壁画もある。
フィレンツェの人というイメージだったフラ・アンジェリコのお墓がこの教会にあったのは少し意外でしたが、祭壇の左手にあるそのお墓の脇を通り過ぎて、私達は奥の扉から外へ出ました。これは『ローマ散策』から教わったルートです。
少し歩くと建物と建物の間からパンテオンが見えました。明らかに時代の古さを感じさせる、威風堂々たるその姿。こんな色はやっぱり長い歴史でしか作り出せない。中に入ってみると丸天井にぽっかりと満月のような穴が開いていて、ものの本によるとその直径が9mというのでびっくりしてしまった。しかもその穴がまさに穴だということを私は知りませんでした、雨が降ったら建物の中は濡れてしまうようです。乾いた気候や石の文化の為か、惜しげなく彫刻を外に置くなど、外と中との区別の感覚は日本人と大きく違うようです。パンテオンの中にはかのラファエロが眠っていました。

この後コロンナ広場を通って少し暗くなりかけた頃、トレビの泉がこの日の観光の最後となる。映像でも写真でもトレビの泉なら何度も見たことがあるはずなのに、私は泉の背景が建物になっているのを知らなかったし、それに泉は私の思っていたより大きく感じました、やっぱり見てみないとわからないものです。

 いったんホテルに戻り、TちゃんKちゃんはコインランドリーへ。シャワーを浴びてさっぱりしてから食事に出ました。
Est Est Est Frarelli Ricci。通りからちょっと入ったところでありながら店内はたいへん賑わっていて、楽しく食事ができる店でした。



ローマの松ぼっくリ
直径13cm也

持ちかえれないのでスケッチ(部分)

ラファエロ『アテネの学堂』


11月19日

この日のメインは何と言ってもヴァチカンである。バスのチケットを売店で買い、テルミニ駅前のチンクエチェント広場からバス利用。

バスの中で地図を見ながらリーダーのTちゃんが「次、止まったら降りるから、四人かたまっていてね」という、無事ヴァチカンの近くで下車できた模様。広い道の向こうにカトリックの総本山サン・ピエトロ寺院がその姿をあらわした、圧巻です。そこでため息をついていると、リーダーは中へ歩みを進めず、右側の道を折れて行く。そうだ美術館へ先に行く予定でした。相当並ぶかと思っていましたが、丁度その時は行列はなく、拍子抜けするほどするすると中へ入ることができたのは意外です、ラッキーでした。美術館はもとの宮殿で中庭を挟んで両側に無数の居室と廊下、突き当たりの部分がシスティーナ礼拝堂、というのが私のラフなイメージです。

やっぱり全てを鑑賞するには数が多すぎるので足早に歩く部分もあったけれど、ラファエロの間はじっくりと時間をかけて過ごす。4室のうち『ヘリオドロスの間』は補修中で全体を見ることは出来ませんでした、一番時間をかけて味わったのは次の『署名の間』。その部屋の『アテネの学堂』は前のニ室とは筆のタッチや色合いに変化が感じられる、美しい絵でした。第4室の火災の絵も私は好きです、動きがあって人間が生き生きしています。

 そして、いよいよシスティーナ礼拝堂。たしかその一部が少し目に入ってから数段の階段を降りた時、その全貌が現れた。こんなに毎日すごいものを立て続けに見ては感動する心がマヒをする、そんなことを思った。そこからの時間はひたすら首が痛くなるのも忘れて天井を仰ぎ、そこに描かれている物語に思いをめぐらせ、あっちからこっちから只ただ鑑賞。建物があるから描かれた絵のはずなのに、絵の為に建物があるかのように思えてしまう不思議。
館内でコーヒータイムを取り、絵画館のほうへ行く。ラファエロやカラバッジョの大作を見ることが出来た、ダ・ヴィンチのデッサン風の油彩は印象が強烈。

美術館から出てくると、さっき私達が入館した入り口がなぜか閉まっている。どういうわけかその日は2時で閉館ということだった。観光客はつぎつぎとやってくるのに、こんなことはよくあるのでしょうか? 入れないとわかって呆然とする人々が気の毒になりました。先に美術館を見ておいて本当に良かった、Tちゃん正解。美術館を出る前にみんなが下りるゆるやかな螺旋階段は、上から見ても下から見上げても大きな大きなカタツムリ。


サン・ピエトロ寺院が見えてきた

さて、これからサン・ピエトロ寺院へ向かいます。途中でイタリア名物の焼き栗を買った。きれいに皮がパカッと割ってあって、中はホクホクの美味。「一人5コずつね」と分け合って少々エネルギー補給、何しろ今回は大クーポラの上まで登ろうと決めている4人です。

サン・ピエトロ寺院の中へ入る、ここにも芸術品がいっぱいだけど一番はやっぱりミケランジェロの『ピエタ』。前にKちゃんが来たときは、もっと近づいて見られたそうだ。今は遠目のガラス越し、事件があったかららしいのです。

クーポラへ登るのは途中までエレベーターが使えます、残りは時折小さな窓から外が見えるだけの暗いせまい階段を登ります。登り始めたら途中で引き返せません、心臓に自信のない人には勧められないと書いてありました。

大クーポラの上からは当然ながらローマが360度見渡せる。ここへ登らない限りヴァチカン広場はこう言う風には見られない、昔見た一枚の写真を思い浮かべてそう思った。「さっきあの広場からこのクーポラを見た時、ここに人がいるなんて見えなかったね」などと言いながら、前日歩いたあたりを、あそこここと指さしながら展望。景色を地図と見比べたり写真に収めたりして、満足と共に下りの階段へ。
広場を突っ切って、そのまままっすぐ続く広い道の途中でBarに寄り休憩と軽い昼食にした。

 ポーポロ広場というのは面白いところだった。双子の教会と呼ばれているらしいそっくりな教会が二つ、広場に面して並んでいる。間の道はコルソ通り。広場をはさんで反対側にはポーポロ門、昔むかし北からローマに入る旅人は皆この門をくぐったそうだ。つい『全ての道はローマへ続く』なんてつぶやいてしまう。

この後、スペイン広場、難破船の噴水などを見ながらトリトーンの噴水のあるバルベリーニ広場に着く頃にはあたりは暗くなり始めていました。私は難波船の噴水が好き、是非見たいと思っていました。なぜそこに難破船なのかといえば、実際にその情景がかつての洪水のあと見られたからという話を『ローマ散策』で読んでいたからです。
近所の骸骨寺はパス、もう暗いし、ちょっと怖い。クワトロ・フォンテーヌの前を通ってホテルへ帰る。

 この日の夕食はしっかりいただきましょうということになりTちゃんが予約を入れてくれて、Ristorante Edyへ。駅のタクシー乗り場は大変混んでいたので多少歩きながら流しのタクシーを捜した。このときの若い女性運転手さんは車を止めたとき携帯電話でお話し中。一度話を終えて私達の行き先を聞いてから又違う電話をかける、どうやら道を聞いていた様子、合間に私達にも話しかけるので忙しい。でも運転は滑らかなハンドルさばきでとても上手です、細い道に入り込み対向車に出くわしても鼻歌交じりで楽しそうに私達を運んでくれました。最後は「楽しい夜をネ」なんて手まで振ってくれて、まるでお友達に送ってもらったような感じでしたが、その手は次の瞬間もう携帯電話を持っていました。イタリア人は総じて運転が上手です、というより上手でないと運転できないというほうが正しいのかも知れない。


焼き栗

クーポラの上から見る
ヴァチカン広場
 Mのお気に入りカプチーノ
11月20日

夕方にはフィレンツェに発つ日です。その時刻までローマを楽しみましょうという雰囲気の日でした。
この日もバスで行ったが多少きわどいトラブル、子供を含めたスリ団体がテルミニ駅周辺に多いのだ。
4人がどこへ向かっているのかわからず歩いていた私は忘れていたが、Mが写真を撮っているのは『ローマ散策』に確かに載っていた『ピエ・ディ・マルモ街の巨大な片足』でした。石畳の道路の隅になぜだか大きな大理石の片足が台座に載って置いてある。よくわからない置物です、ぴったり例の寸止め状態で軽トラックが駐車しているし、寄りかからんばかりにバイクは置いてあるし、親指の横にはゴミが乗っかっているし、ぜんぜん大切にされていません。通り過ぎる人は「写真を撮るなんて」という顔をしています。あの大きな片足はいったい何だったのでしょう? 何かの像の一部としては大きすぎると思うのです、やっぱり独立した作品なのでしょうね。シーザー達が履いていそうなサンダルを履いた左足でした。

 実は歩きながら私が楽しみにしていたのは左足ではなく、朝食のとき話にでた「ローマで一番おいしいといわれるエスプレッソ」でした。
Sant’Eustachio、ちゃんとイタリア流に立ち飲みで満足。エスプレッソでしゃっきりしたところでナヴォーナ広場へ向かう。ナヴォーナ広場は古代ローマ時代には戦車競技が行われたそうで細長い広場だった。三つの噴水があり、真中がベルニーニによる『河の噴水』、ぐるぐるぐると三回ほど周りを回ってそのたびに新しい発見があった盛りだくさんの彫刻でした。広場には鳩がたくさんいて両側の噴水の間を何度となく一斉に飛ぶものだから少し恐ろしい。

この後行ったのが楽しいところ、カンポ・デ・フィオリーナ(花の野の意)という名の広場です。着るものや飾るものもありましたが、野菜、果物、香辛料などの食料品や、生花がいっぱいの市がたっていました。帰ってからイタリア料理を作るときの為に香辛料を、そしてビタミン補給に果物を買う。『ローマ散策』にあった『チェーザレの回廊』を探したがわからない、あたりのお店でたずねてみても誰もわからない。それは本当にあるんだろうか? くたびれた頃、広場に面した店でお昼。

昼食後は二手に分かれて集合はホテルとしました、Mと私は更に『チェーザレの回廊』を探し、目安のBanchi Veccioまではたどりましたが、結局不明。「良く調べてまた来ますか」ということになる。 

ホテルに戻ってテルミニ駅へ、ユーロ・スターでフィレンツェに向かう。ユーロ・スターはなかなかの乗り心地です。車内ではお客さんを勝手にデッサンさせてもらって遊ぶ、高くて立派なお鼻のおじ様はジグゾーパズルを楽しんでいました。

 


不思議な左足



私が頼んだエスプレッソ

市場の八百屋さん

 
香辛料も類種類がいっぱい

鼻が高いおじさま
目が似てると
Kちゃんが言ってくれた

新聞を読んでいた人
 Firenzeに続く
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