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パイロットの妻
石さまざま
氷の天使
逃げてゆく愛
地図のない道
アマンダの影
ひと月の夏
死のオブジェ
天使の帰郷
魔術師の夜






魔術師の夜             キャロル・オコンネル  務台夏子・訳

マンハッタン・マジック・ホリデーズ。
老いも若きも楽しめるパレードはにぎわい、特設ステージでは今は亡き往年の大マジシャン、マックス・キャンドルの「失われたイリュージョン」が再演されようとしていた。
マックス・キャンドル全盛期、彼の周りにいたマジシャン達が今回の主人公となる。
過去のマロリー・シリーズの中に、何度となく登場しているイリュージョンやマジシャンにスポットをあてたのが今作品だ、その布石を思えばオコンネルのこの作品への思い入れが想像できようというもの。

冒頭、クロスボウを使ったイリュージョンで死者がでた。観客をハラハラさせるのがイリュージョン。一度ショーが始まってしまえば、いくら演者が途中で助けを求めても演出にしか思われない。不幸にもマジシャンのオリバーはTVカメラと観客の前で矢に射抜かれて息絶えてしまった。事故なのかあるいは?

ひときわ印象深いキャラクターが、『アマンダの影』にも登場した老奇術師マラカイだ。
亡妻ルイーズと共に舞台に立つマラカイ。彼は舞台の上ばかりでなく、私生活でも常に亡きルイーズの亡霊を当たり前のように伴っている。部屋の壁を影がよぎる、テーブルにあるルイーズのタバコにはいつの間にか火がつき、吸殻には赤い口紅までついている。ワインもトランプもちゃんとルイーズの分は配られるのだ。周囲の人はルイーズの気配を感じ、存在を信じるが、もしかしたらマラカイ当人が最もその存在を信じているのかもしれない。
多少時代錯誤の物腰で、そろそろ記憶もあやふやになったマラカイは、狂気じみた妖しい老魔術師だ。

そんな強烈キャラの容疑者たちに、マロリーはある意味翻弄されて、思ったようにことが運ばない。超現実的な思考回路を待つマロリーもてんてこ舞いして、神経も肉体もすっかり痛めつけられている様子。

問題解決には先の戦争まで時代をさかのぼらなくてはならなかった。その暗い時代に端は発していたのだ。ルイーズの死の謎も解かなくてはいけない。

ここまで書いてきたけど、どうもまとまらないですね。この作品は長いですよ、しかもいくつも話題が散らばっているようなので、大きな流れで捉えることが読むコツかも。
前作で自分の過去にひとくぎりをつけたマロリーは、今回多少饒舌だ。かのクールビューティも感情的な厚みを身につけ、あるいは気持ちを表現することを始めたのか。
マロリーは成長している、ようだ。

マロリー・シリーズの5作目、現在のところ翻訳はここまでです。
<061005>





天使の帰郷             キャロル・オコンネル  務台夏子・訳

前作『死のオブジェ』の最後でニューヨークを離れたマロリーは、本作の冒頭では17年前まで住んでいたルイジアナ州デイボーンにいた。しかもある殺人事件の容疑者として囚われている。
養父ルイ・マーコヴィッツも知り得なかったデイボーン時代のマロリーと、その実母キャス・シェリーの死にまつわる事実が明かされてゆく。マロリーはこうして帰郷できる日を待っていたのだ、その目的は何だったのか。そしてその目的は果たされるのか。

背景がカルト教団によって狂わされている街である点と、復讐譚であることが、どうしても読み手(私)の気分をどんよりさせる。
マロリーのルーツを探るテーマに勝手に期待しすぎた分、私的には空回りした感があるけれど、客観的にみればやはり読ませます。
今回被害者側に身を置くマロリーの描写は多少控えめで、他方ライカーやチャールズのシリアスさ有能さが明解になっている。
これはマロリーが必ず通らなくてはならなかった、立ち戻らなくてはならなかったエピソード、力作です。
<060921>






死のオブジェ           キャロル・オコンネル  務台夏子・訳

ギャラリーに置かれたパフォーマンス・アート、床に横たわり「死」と題されたいわば死のオブジェは、本物の死体だった。
「いきなりですか」とつぶやく私。
キャロル・オコンネル マロリーシリーズ第三弾です。
ギャラリーで展開されたこの殺人は、亡き養父ルイ・マーコヴィッツが関わった12年前の未解決事件をマロリーに思い起こさせた。

実を言うとハードボイルドはともかく、サイコは苦手の私としては、今回は少々ハードでありました。でも、500頁あまりの間ほとんど力を抜くところなく、読み応え充分。
相棒ライカーやチャールズも、さらにその人となりが明らかになり、愛すべき脇役としての地位を確立。相変わらずクールなマロリーも、今回はいろんな面を見せてくれるぞ。ドレスアップしてパーティの華にもなるし、あのフェンシングの迫力はどうだ!もちろんどちらも捜査の一環の場面。終盤には天使を思わせる一面も垣間見せている。

捜査上の目的到達のためには手段を選ばず、法をもかえりみないマロリーですが、今回陰謀によって受けた仕打ちには打ちのめされた、かわいそう。そんなことも含めて、主だった登場人物の一人一人の後ろに哀しみが見える。重層低音のように常に響いているんだな。

最後にマロリーはニューヨークを離れます、でもシリーズは続くようです。
マロリーに惚れてしまった私は、次も読まずにはいられない。
<060908>







ひと月の夏          J・L・カー  小野寺 健・訳

古い壁画の修復を依頼され、ロンドンからやってきた青年が降り立ったのは、イングランド北部の小さな村の駅だった。青年の名はトム・バーキン。
そのほとんどを仕事の道具が占める荷物を携え、地図を頼りに彼は壁画のある教会への道を歩き始めた。
雨が降っている。
夏だというのに彼は身体に合わないツイードのコートを着ている。まるで全財産を持って歩いているようだが、戦争がもたらした心と身体の痛手もまた、引きずっているトム・バーキンだった。仕事場となる教会にたどり着き、堂内を見渡すトム。この教会の鐘楼がしばらく彼の寝起きする場所となる。

壁画の汚れを丁寧にはがし洗う。何か訳があったらしく、描かれて間もなく漆喰で塗りこめられたと見られる壁面から、予想以上にすばらしいフレスコ画が少しづつその姿を現した。その過程を目の当たりにできるのが、この地味な作業がもたらす感動と安らぎだ。この仕事がバーキンの独立して初めての仕事なのだった。

周囲の人たちとのささやかな、そして控えめな交流を交えながら、若き日の夏の思い出が語られている。これといったストーリーはないが、良い小説を読んだ幸福感を味わえる作品だった。

心に残るフレーズがあった
"あのままあそこにいたら、ぼくはいつまでも幸せだったろうか?"(p.117)

昔から数限りなくお世話になってきた小野寺 健さんによる訳。
<060828>








アマンダの影           キャロル・オコンネル  務台夏子・訳

マロリー シリーズの第二弾、一作目を上回る面白さ、とばしてます。
キャシー・マロリー、まず、金髪長身の美女であること。
定番のいでたちはカシミアのブレザーにTシャツ、ヴィンテージもののジーンズに革のスニーカー。これが似合うこと似合うこと!って見たわけではないけれど。
度胸はあるし、頭の回転は良いし、コンピューターにはめっぽう強い。
ただし警察官なのに天才的な泥棒、しかも善悪の観念が一般社会の常識を大きく外れている。これには訳があるんだけれど。

ある日ニューヨーク市警巡査部長キャシー・マロリーの死が、報道される。手がかりになったのは名前の入ったブレザーだったが、もちろん被害者は人違いだった。この事件に関わることになったマロリーだが、今回のお話では他にもいくつも事件が付随してくるため、同時進行で捜査をするマロリーは大変だ。読んでいる方も実は頭が混乱してきて、登場人物の名前を確認することしきり。
イリュージョンや超常現象、イメージや妄想、そういったものが前作品より多分に登場する。その中でまったくぶれることなく現実的なものだけを手がかりに思考するマロリーは時として冷淡だが、一方で現実的なものに関しては誰よりも細部まで観察し、繊細に感じ取る。無法なこともやらかすが、マロリーの才能には上司としても仲間としても、一目をおかざるを得ないのだ。

今回はマロリーのストリート・チルドレン時代のエピソードが大幅に明らかになった。その過去は「ずいぶんだよ」という感じ。知っている人は皆、口を閉ざしている、さにあらん。
登場人物の性格がだいぶはっきりしてきた、マロリーばかりでなく魅力的な人物像が生きている。イヤー、これはシリーズを次々と追いかけそう。
<060823>







地図のない道                  須賀敦子

「地図のない道」  
      その一 ゲットの広場
      その二 橋
      その三 島
「ザッテレの河岸で」

イタリアへ一緒に行った友人が、最近訪ねた北イタリアの写真を見せてくれた。
アクイレイア(Aguileia)の遺跡が、すばらしかった。ちょうど二年半前、ポンペイで見たような、フォロの円柱や建物の基礎跡、とりわけ色鮮やかなモザイクには目を見張った。
その時、須賀敦子さんの『地図のない道』にこの地名が出てくると聞いたのだけれど、私にはまるで記憶がなく、少しあわてて再読。

アクイレイアは第三章の「島」に出てきた。そうか、著者が友達と行ったちょっと奇妙な新婚旅行で訪れた場所だったのだ。大聖堂の内部に残されたさかなのモザイクのことが書かれている。

  聖堂の床ぜんたいが海に見立てられ、数えきれない種類のサカナが、     いろがまだらな大理石の小片の波間を泳いでいた。

あぁ、これはまさに、見せてもらったあの写真だ。
この場面は、忘れてしまっていたというそれ以前に、実感を持って読めていなかったことに思い至る。あんなすばらしい遺跡は、あのころは私の想像の外だったのだから仕方がない。

「ザッテレの河岸で」は、画家カルパッチョの作品を調べながら読んだ。『ラグーナでの狩猟』と『二人のヴェネツィア婦人』が切り離された一枚の絵だということも始めて知った。

ヴェネツィアを訪れる時にカバンにしのばせたいと思う一冊だ。出来るなら、対岸にレデントーレ教会のファサードを臨むザッテレの河岸に立って、その場所からの景色をヴェネツィアで一番愛していると書き残している須賀さんを偲んでみたい。
<060819>






逃げてゆく愛         ベルンハルト・シュリンク   松永美穂・訳

7作品からなる短編集だ。
「もう一人の男」
「脱線」
「少女とトカゲ」
「甘豌豆」
「割礼」
「息子」
「ガソリンスタンドの女」

「少女とトカゲ」とは一枚の絵の題名だ。子供のころから父の部屋に飾られていたこの絵に魅せられ、いまはその所有者となっている青年の思いを興味深く読んだ、一番印象深い作品だった。その絵を知ることは亡き父の過去を知ることだった。終わり方の鮮やかさが好きだ。
「脱線」には、ある夫婦と1人の男性(ぼく)というごく小さな人間関係の背景に、東西ドイツの統一という社会の大変動が描かれている。とりあげているのは当時の社会情勢、もう少し経ったら歴史と呼ばれる部分、と言ったら大げさですか?
<060818>








氷の天使              キャロル・オコンネル  務台夏子・訳

主人公は25歳にしてニューヨーク市警巡査部長のキャシー・マロリー。
頭脳明晰で大変な美人だが、彼女の特徴はそれだけにとどまらない。ストリートチルドレンという過去を持ち、その影響か世間の規範に添えない性格を持っている。誰からもファーストネームで呼ばれることを好まず、喜怒哀楽はめったに顔に出さず、感情を封じ込めているようなところがある。でも刑事だったルイ・マーコヴィッツに悪事を見咎められたのがきっかけで、ルイとヘレン夫妻の養女となり、愛情いっぱいに育てられた幸せな記憶もあるのだ。そんないろいろがこの若きクール・ビューティに個性的なキャラクターをもたらしている。シリーズ物の第一作目、先も気になるところ。

管轄内で裕福な老婦人の連続殺人事件が起こる、マロリーにとって衝撃的だったのは、その事件を追っていた重大犯罪課の警視でありマロリーの養父でもあるルイが第三の事件で被害者となってしまったことだった。
「どうしてこんな重要人物が早々と死んでしまうかなぁ」と、あきれる私。
マロリーにとってもう1人の愛する人ヘレンもすでに帰らぬ人となっている。
悪夢の子供時代からやっと心を開ける人を得るまでになったのに、マロリーはいきなりまた孤独だ。
この事件はマロリーにとってただの殺人事件とは違ってしまった。彼女は彼女のやり方で、ルイの無念の真相を追うことになる。
<060818>







石さまざま
         アーダルベルト・シュティフター 
             高木久雄 林昭 田口義弘 松岡幸司 青木山陽・訳

「石さまざま」は全二巻6篇からなる。
既読は二編、「花崗岩」(「みかげ石」として読んだ)と「水晶」。

1853年に短編集としてまとめられるにあたり、以前に発表されていた作品に手が加えられ、題名も改題されたといういきさつがあるそうだ。

「花崗岩」  「瀝青(ピッチ)を造る人々」
「石灰石」  「貧しい慈善家」
「電気石」  「貴族屋敷の番人」
「水晶」    「聖なる夕」
「白雲母」   本短編集のために書き下ろし
「石乳」    「白マントの印象」

それぞれの元の題名は、作品の内容を彷彿とさせる素敵な題名だと思う。
私は原題が好きだ、でも、改題したことを残念だとは思わない。石の名前に統一されたそれぞれは、短編集『石さまざま』の中にしっくり納まって、例えば博物館で静かに陳列されている大切な石のように粒ぞろいだ。まとまり感をかもし出しているという点で、この改編改題は短編集としてまず成功していると思う。個人的には、副題のように元の題名も心に残したいと実は思っているけれど。

さて、今回初めて読んだ中で、私が強く心惹かれたのは「石灰石」であり、「白雲母」でした。どちらもまさにシュティフターの世界です。それは私が彼の筆に求めている世界とでも言えばよいのかもしれない、それが充分に繰り広げられていたことに満足させてもらいました。後に書かれた長編小説「晩夏」を思わせる描写が時々見えたように思う。端正であり温かい。

絶版のため通して読むことが出来なかった『石さまざま』が、こうして改めて出版されたことはすばらしいことだった。
<060802>








パイロットの妻
                   アニータ・シュリーヴ著  高見浩・訳

人が傷ついてボロボロになる姿なんて見たくない。でも、自分で立ち直ってゆく、あるいは平静を取り戻してゆく場面はやっぱり目が離せず、終盤はぐいぐいっと読み進んだ。

ことの始まりは航空機事故だ。夫が操縦していた飛行機が空中爆発を起こしたという知らせから始まる。
一瞬のうちに平穏な日常から引き離される主人公キャスリンが直面する数々の事柄の中に、思いもよらぬ夫ジャックの秘密があった。

読者としては、半分は彼女の気持ちを擬似体験し、あとの半分は第三者的に見守る格好になるが、キャスリンの行動は相当細かく表現されている。さすが女性作家のなせる業。でもその割には、全体的には現実味がうすい印象がちと残念。
<060706>









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