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花のレクイエム
博士が愛した数式
家守綺譚
わたしを離さないで








わたしを離さないで      カズオ・イシグロ   土屋政雄・訳

問題提起といっていいのだろうか。

下地にある設定、あるいはいくつかヒントのように提供されるキーワードの正しい意味が分からないまま、といっても徐々にその言葉の持つ普通でない空気は濃くなって「そういうことなのか」と想像はするのだけれど確信が持てないまま、1/3 、2/3と読み進んでしまっていた。

そうした不安を感じながら読んでいることが、作中人物たちのデリケートな立場や感情に対して読者を敏感にさせる。
とてつもない発想だと思っているうちは良いとしても、こんなことがあってもおかしくはない、いや有るかもしれない、という思いが少しでも頭をよぎれば、そのたびに味わう恐ろしさはしばらくあとを引きそうだ。

キャスとその幼なじみの人生が魂に触れる。
いつものように、静かなカズオ・イシグロの世界は最後まで変わらない。
<061126>







家守綺譚            梨木香歩

この作品の単行本の装丁は大変美しく、そのせいか文庫化は実は予想の外だった、ありがたや。そんな訳で書店でこの文庫本を発見したときは、驚きと喜びでたぶん2センチほど飛び跳ねたはず。

 左は、学士綿貫征四郎の著述せしもの。

から始まって、植物の名を冠する文章が28編。文体も内容も、例えば明治の文豪を思い出させるような懐かしさをふくんだ美しさ。

綿貫征四郎は駆け出しの文筆家だ、家守として亡くなった友人高堂の実家に住んでいる。純和風の風流な庭を持つ家で、周囲は自然が豊かだ。この環境こそが、この作品の内容や雰囲気を可能にしている。のっけから幻想の世界に入り込んだことに読者は気がつかされる、床の間の掛け軸をゆらりと揺らして高堂は現れるし、庭木のサルスベリは綿貫に懸想しているらしい。何かに導かれるように飼い犬になったゴローはあちらとこちらの世界を境なく自在に生きているようだし、草花が笑ったり怒ったり、そんなものを徐々に見せられて、河童の乾物が出てくるあたりではもうすっかり慣れっこだ。全部すんなり受け止めている綿貫を見て可笑しがりながら、私も充分入り込んでいた。
笑うような場所ではないかもしれないけれど、思わず爆笑してしまったのは、小鬼が落ちていたくだりだ。(「ふきのとう」)
 
 拳を一回り小さくしたほどの小鬼

なのだそうだ。もう、どんな発想なんだろう、面白すぎて忘れられない。

登場人物は少ないが皆味がある。後輩の山内が結構大事だし、隣家のおかみさんなんて、もしやこの世のものではないのか、なんて。

最後に、文筆家としての綿貫征四郎の一文がある。龍田といえば紅葉、山や川を紅く染める紅葉のイメージが印象に残る、今頃読むのにふさわしい。
梨木作品いくつか読みましたが、これは私にはベストです。
<061022>






博士が愛した数式                  小川洋子

瀬戸内海に面した小さな町で家政婦の仕事をしている「私」が今度派遣された家は、その顧客カードを見る限りなかなか手ごわそうだった。気難しいのか、注文が多いのか、今まで家政婦は何人も入れ替わっている。
「私」がその家を訪ねてみると、事情は想像と全く違っていた。依頼主は上品な年配の女性であり、別棟に一人で住む義理の弟の日常生活を手伝って欲しいという。
その弟というのが「私」にその後大きな影響を与えた博士だった。

なんと、博士は1975年以降の記憶を持っていなかった。その後の記憶は80分しか覚えていられない。20年余り前の交通事故が博士をそんなふうにしてしまっていた。
初対面の「私」に博士は「君の靴のサイズはいくつかね」と尋ねた。挨拶代わりとしては風変わりだが、博士の関心事はまず数字であり、永年人と接していない博士がとっさに口にするのも数字に関わることだったのだ。この会話は毎日のように続いた。博士にとって通いの家政婦の「私」は毎朝初対面の相手なのだ。

博士は背広にクリップでたくさんのメモをぶら下げていた。忘れてしまった記憶をそのメモをヒントに手繰り寄せるのだ。例えば「新しい家政婦さん」と書いたメモにはその似顔絵が添えてある。
一番目につきやすいところには「僕の記憶は80分しかもたない」のメモがあり、朝目を覚ますたび博士はそのことを知る。それがどんなことなのか、すぐには飲み込めないかもしれない。80分しかもたない記憶だなんて、そんな宣告は生涯ただ一度でも受ければ打ちのめされてしまうだろう。それを毎朝、新しく知らされるなんて。
良いことも悪いことも80分以上前のことは記憶から消えてしまう、その心細さは想像するだけでこみ上げてくるものがあるけれど、博士はそれを静かに受け入れているかのようだ。

交通事故は博士の脳から記憶力を奪ったが、数学者としての頭脳はそのまま残されており、博士は大好きな数字の世界にいつも漂っている。博士が語るとき、数字は魅力的で、数式は美しい。どれだけ博士が数学を愛しているかが伝わって「私」も読者もだんだんその世界に魅了されてゆく。

「私」には一人で育てている息子がいる。そのことを知った博士は、子供は母と一緒にいるべきだと強く主張し、仕事先の博士の家に連れてくるように断固として勧めた。頭の形を見た博士が√と名付けたその息子と博士と「私」の三人の毎日がこうして始まったが、その心の交流が三人にとってどれだけ豊かな日々だったことか。√は博士にとっても心を許せる大切な人物になった。その証拠に「新しい家政婦さん」のメモには「と、その息子さん」と書き加えられていた。好きなエピソードはいくつもあるが、野球観戦のくだりは最高だった、泣き笑いだ、うまい!

博士が子供には無条件に、敬意とすら思える優しさを注ぐのを見るたびに胸が熱くなる。心に大きな喪失感を持ちながら邪心のない愛を子供に示す博士は、本当に根っから善良だと分かるからだと思う。そしてそんな博士が数式を通して、私たちにその心を教えてくれている。
<061017>







花のレクイエム             辻 邦生

一年12ヶ月、それぞれの月にまつわる花を題材に、小さなちいさな物語が一編づつ。
そして版画家 山本容子さんの銅版画が一枚づつ。

少し前までたくさんの日本人が持っていたつつしみ深い心がじんわり広がる世界に、はっとするような一瞬を印象づける物語だ。

山本容子さんの不思議さは、得がたい。
表現したものの中に、表現した人が見えているような。
作品としてはもっと彼女らしいものはいくらもあると思うけど
ここの12作品も彼女にしか作れないものであることは間違いない。

1月山茶花 2月アネモネ 3月すみれ 4月ライラック
5月クレマチス 6月紫陽花 7月百合 8月向日葵
9月まつむし草 10月萩 11月猿捕茨 12月クリスマス・ローズ

レクイエムだ、どの作品もみな
少しづつ悲しい。
<061005>









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