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星々の生まれるところ
イラクサ
紙の空から
チェーホフ・ユモレスカ
冷 血
第三の時効
イングランド・イングランド
エルサレムの秋
ウィルの肖像
サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇







サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇     
                  オスカー・ ワイルド   西村 孝次・訳

少し前に映画『理想の女(ひと)』を観て、本のダンボール箱をひっくり返したら、有りましたありました、原作『ウィンダミア卿夫人の扇』。これは本当に読ませる戯曲だ。
ウィンダミア卿夫人の誕生日、秘密、誤解、真実が交錯するたった一日の物語。ウィンダミア卿夫妻の思いやりや思い込みへの試練はある女性の出現によってもたらされた。この戯曲にとって、このアーリン夫人という女性の役どころがもっとも重要だ。

一緒に収められているのは、かの有名な『サロメ』と『まじめが肝心』
<070411>







ウィルの肖像
            アン・ビーティ     亀井よし子・訳

ほっそりとした襟足に柔らかそうな巻き毛の少年が、逆光の方向へ歩いてゆく後姿。
わたくし的につかみはオッケーの表紙。

ジョディ(Mother)
ウェイン(Father)
ウィル(Child)
の三章に、少年ウィルをめぐる大人たちが数人登場するが、冒頭から気になる人物は、ジョディにプロポーズしようとしていたメルだった。
愛する女性の子供だからというだけでない優しさで、ウィルと接するメル。

文中、多少唐突に出てくる数ヶ所の挿入文は、子供についての美しくも冷静な分析で、魅かれるものがあったが、その部分こそが読むべき個所だった。そこだけを取り出しても良いくらい。
最初、語り手は不特定な第三者のように思っていたが…、それは最後に明かされる。

ウィルは、それぞれ生きるに精一杯な周りの大人を見ています。ではそのウィルを本当に見てくれていたのは誰だったのでしょう?
挿入部分は愛情に満ちていました、こうしたハートが次の世代に引き継がれてゆくと思えれば、気持ちが暖かくなります。
<070403>








エルサレムの秋    アブラハム・B・イェホシュア    母袋 夏生・訳

中篇二作「詩人の、絶え間なき沈黙」「エルサレムの秋」より成る。

「詩人の、絶え間なき沈黙」
かつて詩人だった語り手の老境に入ってから生まれた息子には、「脳に障害があると思われる」。
「旋律を失ってしまった」ために詩人としての筆を折ったその後に生まれた息子だったが、息子のことを「境界線をさまよっている」と彼は表現している。
妻は亡くなり、他の子供たちは独立し、彼と息子は二人の生活を始めていた。

いつしか父がかつて詩人だったことを知る息子。どこまでそれを理解しているのかは測り知れないが、なぜか息子はそのことに執着を見せ、そして父と息子の関わり方や関係には変化が生じてくる。

「エルサレムの秋」
かつて愛した今も大切な人の子供、ある意味二重に大事な子供と向き合う3日間。

一目見るなり愛情を感じる一方で、同時に複雑な思いも湧き上がらせる三歳の子供を、未婚の男性である語り手が3日間預かることになった。その戸惑いはいかばかり。
子供の年齢は絶妙だ、充分に会話は出来ないが、予想以上のことを理解しているように見える清らかさに心を見透かされそうだ。

過程はどうであれ、まさか死なせてしまいやしないかと、実はヒヤヒヤした。スリリングな3日間だ。その結果、子供と同様に語り手もやつれ果てていたが、それにはある意味安堵。

作品としては「詩人の、絶え間なき沈黙」の方が好きだったが、「エルサレムの秋」での心理描写は相当に深く掘り下げられ、核心を突いていてゾクッとさせられる。
<070318>







イングランド・イングランド    ジュリアン・バーンズ   古草 秀子・訳


元気で興味を持ったものには突き進む、いたずらもするけれど、子供らしい心配事があって思慮深くもある、言ってみれば普通の女の子、マーサ・コクラン。
「あなたのいちばん最初の記憶は?」話は記憶の真実度への問いから始まった。
本物と偽物とについて、深く繊細に考えさせてくれるこの本の序章だ。

第一部はマーサの子供時代から25歳までの話で、第三部は彼女の静かな老後の様子が書かれている。それぞれは短いけれど、心が豊かに描かれている。
そして第二部は、大真面目に書いた奇想天外な話。普通の女性の人生にもいろいろなことがあるものだけれど、マーサはこれまた随分と壮大な出来事に関わったこと!

サー・ジャック・ピットマンという富豪がイングランドのレプリカを作ろうと考えた。ハウステンボスってこと?と最初は思ったけれど、規模がだいぶ違う、ま、小説だし。
場所はハンプシャー州の南にあるワイト島、今回知ったのですが、これがヴィクトリア女王が晩年を過ごした宮殿がある古くからのリゾートで何となくそれらしい島なのだ。

マーサはその企画のスタッフとなった。サー・ジャックの構想でイングランドよりイングランドらしいレプリカをつくる。リストアップされていた「イングランドらしいものベスト50」が面白かった、王室、ビッグベン、マンチェスターユナイテドなど、ロビンフッド、シェイクスピア、紅茶、山高帽にハロッズ、ガーデニングなんかもある。リストにあがった有形無形のこれらを見ているとイングランド人だったら愛国心がぐっと湧いてくるだろう。これらをどれだけ盛り込むことが出来たのか詳細にはわからないが、結果は(サー・ジャックのはともかく)予想を超えていた。経済、文化、観光客などあらゆる分野でレプリカは本物をあっさり抜き去ってしまった。本物のイングランドは忘れられ、イングランドといえばこのレプリカだったイングランド・イングランドを指すようにすらなってゆく。ばかばかしさがだんだん自然に思えてくるからすごい。ベスト50にブラックユーモアって言うのも入れておいてほしいわさ。

ほんものよりほんものらしい、という言い回しがありますね。歌舞伎の女形がふと頭に浮かぶのですが、より近づけようとする努力が生んだ結果でしょうか。利便性や合理性が付加価値となって、イングランド・イングランドは大成功。

しかし、そんなお祭りみたいな島を離れてマーサは母国へ帰る。母国とは、時代返りして寂れ、今やアングリアと呼ばれるようになったかつてのイングランド。本物を考え続けたマーサ・コクランの半生。

「支柱と花と物語とは、かぎりなく汝のものなればなり」  

MEMO
オールドイングランドは歴史を失い、そして記憶はアイデンティティであるから、それはつまり自己を失ったに他ならなかった。p.246
<070312>







第三の時効             横山秀夫  

短編集ですが、全て同じF県警捜査本部の捜査一課を舞台にしていて、互いに関連性の強い連作という感じ。
捜査一課は3班に分かれていて事件を順番に担当する仕組みになっている。班長は朽木、楠見、村瀬、それぞれ個性の強いベテランで、この3班を束ねているのが捜査一課長の田畑。このあたりが今回の主たる登場人物となる。班同士は競争意識が強く、それが捜査の緊張感を増す。

「沈黙のアリバイ」
容疑者はいつもいつも弱者だという思い込みがあったけれど、取調べ室で追い詰められる刑事という図が、目からウロコだった。

「第三の時効」
表題作、二班の楠見のアクロバット的判断が、的を射た。

「囚人のジレンマ」
3班が3班とも事件を抱えている、課長の田畑はそれぞれを把握するのが仕事だが、個性の強い班長たちとあってはなかなか難しい。しかも、マスコミとの対応も捜査に影響してくるので気配りが必要だ。

「密室の抜け穴」
シビアな競争、闘争本能が必要なのか。トリックよりもそっちが気になる。

「ペルソナの微笑」
この話は私の苦手系、心の傷は読むのがつらい。

「モノクロームの反転」
刑事たちのハートがストーリーを越える。

第一線の刑事が主役、シリーズ化するだろか?
今、日本で一番安心して手に取れる作家の一人だと思うけれど、欲を言うなら、女性がもっと書き足りていたらと。
<070228>





冷 血       トルーマン・カポーティ    佐々田雅子・訳

たぶんバディー・シリーズを大切にしているために、敢えて避けてきた『冷血』だったが、何も心配することはなかったのだ。今思うと何を気にしていたのだろうと思う。
これで私は、まるごとカポーティが好きだと言えるような気がして安堵した。

1959年カンザスで、一家4人が惨殺された事件が題材。このむごい殺人事件を追うに当たって、几帳面で簡潔な文章が生きている。
小説の体を為すと言っても、取材の量は膨大だし、その方法も人並みではなく、そのあたりは映画『カポーティ』で表わされていた。でもノンフィクション・ノヴェルといわれる本作『冷血』にはカポーティの影はほとんど見えなかった。

犯人はどうしてあんなことをしたのか、なぜこんな事件が起きたのか。
このシンプルな疑問から、カポーティの取材は始まったはずだ。
読み手もそこに大きな関心があるが、小説はその背景と過程を語る。

背景で印象深いのは人が最大限に描かれていることだった。それは被害者と犯人の両方の家族だったり、事件に慄く町の人だったり、事件の解決に関わった人たちだった。立場の違う各方面の意見などを出来る限り網羅しようとする緻密さが、作品の厚みの源だ。

過程も相当細かく調べ上げられている。被害者たちの「その時」までの様子は結果が決まっているだけに読み手にはつらい。犯人のそれも同様だけれど、一見事件には関係ないと思われる空きビン拾いのエピソードがなぜか私には印象深かった。あのシーンの描写の自然さは忘れられない。

事件から刑の執行まで5年余、取材を通して犯人の一人ペリーと係わり合いを持つ一方で、刑が執行されなくては作品が完結しないという思いはカポーティにとって大変なジレンマだったに違いない。でも、カポーティは心血を注いで『冷血』を書きあげた。

小説の最後はカポーティらしい繊細さが満ちている。
捜査官デューイと被害者の親友スーザンとのシーンでは滂沱の涙。

MEMO
「尻拭いをする運命」p.546
新訳もすばらしいのだと思います。
<070221>







チェーホフ・ユモレスカ

        アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ     松下 裕・訳 

「かもめ」や「桜の園」の記憶も今は昔、でも印象として通ずるものを思い出した。
ではなぜ今チェーホフなのかと言えば、まさにこの表紙。見たところイラストレーターのお名前は中欧の方かと思われます。色合いも良く、きれい!と手に取る。
時代は新しくはがないが古くもない100年余り前のこと、当時としてはたぶんとても身近な生活が題材となっている。

ユモレスカとはユーモア小品の意とあります。本当に小品、その長さからいっても短編とはどうしても分けなくてはなりません。
稲垣足穂さんや星新一さん(かつてはまりました)にショートショートと呼んだ作品がありましたが、ちょうどあのくらいの長さ。その数なんと64編。
うち15編が本邦初訳とありますが、私にとっては全て始めてでした。

「春を迎える ある考察」  
  大昔の春の描写 "美しい娘が地上に花々をばらまいている" ボッティ  チェッリか。
「ひどい目に遭った」
  "わたしはこうして破滅したのだ" 気の毒だった
「ついてない訪問」
  ほんの20行足らず、ちょっと前のお笑い定番風、だけど可笑しい。あり   がちー、でもこれこそ破滅だ。
「復讐」 
  ちょっと長め、といっても10ページほど。酒屋にとぐろを巻いてへこむ
  くらいなら、こんな復讐しなくても…、でもやらずにすまなかったその
  気持ち。
「どっちがいいか」
  一杯ひっかけた勢いで一気に書き上げたような。
「偏見のない女」
  勇気の告白。良い話だ、清涼剤のように。
「婚約者」「愚か者」「兄さん」
  わかり易い残念な価値観。
「年に一度」
  言葉なし、不人情、寒々、悲、そしてその対極の。
  この作品が私が持っていたチェーホフのイメージに一番近かったかも
  知れない。
「親切な酒場の主人」
  こういうことでしょうね、ザンネン。
「ヴォードヴィル」
  ひどいじゃない、もう! これ一押しです。
「賭けだし作家の心得」
  これも大変面白かった、変な言い方だけど一押しその2。
「統計」
  郵便配達人が何を運んでいるのか、着目点がいいと思った。

デフォルメ加減も心地よく、風俗漫画を文章にしたようなたのしさだった。水彩画タッチ? 手軽に描けそうで、実は難しい。
<070213>







紙の空から                        柴田元幸・編訳

面白かった!ご機嫌なアンソロジーだった。
柴田元幸さんが翻訳のみならず編者でもあるわけで、どんな作品が入っているのか楽しみで読みはじめる。でもどうやって集めたのかと思い、途中で編訳者あとがきを読んでみたら、雑誌「PAPER SKY」に連載された旅にまつわる物語だった、なーるほど。
この雑誌を知らなかったので検索したところ、新しい視点から作られている旅雑誌のようだった。季刊のその雑誌に載った作品が集められたそうだ。
柴田元幸さんによる作品の選抜と柴田さんならではの翻訳ならさぞやと、期待も信頼度も高くなってしまったが、果たして。本当に面白かった、よかった。

プレシアの飛行機                 ガイ・ダヴェンポート
道順                         ジュディ・バドニッツ
すすり泣く子供                   ジェーン・ガーダム
空飛ぶ絨毯                     スティーヴン・ミルハウザー
がっかりする人は多い              V.S.プリチェット
恐ろしい楽園                    チャールズ・シミック
ヨナ                         ロジャー・パルバース
パラツキー・マン                  スチュアート・ダイベック
ツリーハウス+「僕の友だちビル」      バリー・ユアグロー
夜走る人々                     マグナス・ミルズ
アメリカン・ドリームズ               ピーター・ケアリー
グランド・ホテル夜の旅+グランドホテル・ペニーアーケード 
                           ロバート・クーヴァー 
夢博物館                     ハワード・ネメロフ
日の暮れた村                  カズオ・イシグロ
  
MEMO
すすり泣く子供  
  記憶に残るのは真実、この場合は感性の真実。 挿し絵が私好み、はしもとようこさん。
空飛ぶ絨毯  
  ミルハウザーなら、大人になっても絨毯で飛べる
がっかりする人は多い  
  軽い読み物っていう風情。
ヨナ  
  好きだな、ロジャー・パルバースは新作の翻訳が始まるらしいので注目。
パラツキー・マン  
  ダイベックは「シカゴ育ち」も柴田氏の訳
夜走る人々  
  しゃれてるよ。
アメリカン・ドリームズ  
  好き、泣ける。その瞬間、町の人と同じ体験ができた
グランド・ホテル夜の旅+グランドホテル・ペニーアーケード  
  「孤高のお姫さま」
夢博物館  
  打ち明けるために抱える秘密 
  「うわ、こまった」とは確かに! なんとナイスな翻訳
<070127>






イラクサ              アリス・マンロー    小竹由美子:訳

クレストだし、まず表紙と題名に惹かれたので手に取った。短編集だということはその時まで知らず。

恋占い
浮橋
家に伝わる家具
なぐさめ
イラクサ
ポスト・アンド・ビーム
記憶に残っていること
クィーニー
クマが山を越えてきた

短編にもいろいろあるけれど、読み手としてハナから心構えが必要なときがある。集中力を高めてからというのは大げさにしても、のんびり字面を追っていると付いて行かれなくなって失敗するのだ。うっかり者の私は、しばらく読み進んでから「あ、失礼致しました」と最初に戻って仕切り直すことしばしば。程よい緊張感が短編を充実させてくれる。

私が言うのもなんですが作者の非凡さは最初の「恋占い」で実感。
好きなのは「浮橋」「クマが山を越えてきた」、次に印象に残っているのは「なぐさめ」「記憶に残っていること」。

全体的な印象としてすごい書き手だと正直思ったけれど、私にはのめりこめないというのが本音で、読み終わるのに時間がかかった。この短編集の、またはこの作者のどの部分がそう思わせたのだろう?評判の作品だけに読みきれなかった私自身が何となく残念。

覚え:「浮橋」心の準備(つまり死への)に反して良い兆候を見せ始めた体調に、喜びより先に思わぬとまどいを感じる不思議な心理。主題とはちょっと違う部分だけど。 

<070122>






星々の生まれるところ     マイケル・カニンガム    南條竹則・訳

男サイモン、女キャサリン(キャット、カタリーン)そして少年ルーク(ルーカス)。立場や関係は三種三様ながら、この三人が織り成すある意味連作の三篇からなる。

機械の中
少年十字軍
美しさのような

「機械の中」のサイモンは、恋人キャサリンと弟ルーカスと、そのルーカスが負わなければならない年老いて疲れ切って病んでいる両親を残して逝ってしまった故人だ。まだたった13歳のルーカスは否応もなく大人びる。兄が働いていた工場に雇ってもらい、実はその兄の命を事故で奪ってしまった機械を相手に懸命に働こうとしている。

「少年十字軍」のキャットは、9.11後のニューヨークに住んでいる。数々の犯罪が渦巻く暗い部分から罪の芽や助けを求める声を汲み取って、犯罪を防止しようと心を砕いている。そして彼女はあるサインを見すごしたことを悔やんでいた。無垢なまま犯罪者になろうとしている少年たちと、死んでしまった自分の息子への思いが、キャットを思いもしない方向へ歩かせる。

「美しさのような」は未来の話だ、地球の様子に楽観はできない。サイモンは人間によってプログラミングされた人造人間で、カタリーンは異星の生命体。
実は読み始めの取っ付きが悪く、これはSFだと思った瞬間あきらめようかとすら思ったが、止めなくて良かった。でも今までの作品『めぐりあう時間たち』『この世の果ての家』のマイケル・カニンガムを信じたからこそ最後まで読めたというのが本音。
ま、10ページも読めば入り込むことができるし、そこまで来たらぬけられなくなり、感動と余韻のラストへ。

デジタルのように曖昧さのない極端なものに囲まれ、あるいは支配されている時や、死、苦しみ、愛情の欠如などに沈んでいる時、詩が助けになるようだ。感情と一体となった詩が。

ホイットマンの『草の葉』は、今後頭に置かなくてはならない詩集になりますが、膨大で難しそう。
<070107>









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