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貴婦人と一角獣
ヒストリー・オブ・ラヴ
果てしなき逃走
さらば、アルハンブラ  深紅の手稿 (上・下)
死の蔵書
幻の特装本

フェリシアの旅
石のささやき







石のささやき             トマス・ H・クック    村松 潔・訳

ストーリーを追うミステリーじゃないんだな。
書かれている事だけではない、雰囲気で迫ってくる書き方ができる作家だ。
最初から説明のできない不安や恐ろしさを感じさせられる。
トマス H.クックを読むのは『緋色の記憶』以来の二作目、作風は出来上がっているという印象。

俯瞰するような視線で取調べ室の様子を描く現在と、一人称で語られる過去が交互に編まれて、外側からだんだんと事件をあぶりだしてゆくような作品だ。読んでいる間の居心地の不安定さが前回読んだ作品と似ている。

心の病の可能性。おびえながらも受け止めざるを得ない現実。わが子の死を境に姉のダイアナは精神の安定を失った。父が逝く過程を二人で見守った姉弟だったが、今度は弟のデイヴィッドが一人で壊れてゆく姉と直面しなくてはならなかった。
<071226>







フェリシアの旅       ウィリアム・トレバー     皆川孝子・訳

フェリシアは17歳。アイルランドの田舎町から何も告げずに去ってしまった恋人ジョニーを探すためにイギリスのバーミンガムへやってきた。恋人を探す手がかりはささやかで、しかもほとんどあてにならないことはすぐに見えてくるが、フェリシアは一途に恋人を信じている。
一方ヒルディッチはバーミンガムに生まれ育った中年男性。母亡き後一人で生家に住んでいる、ある程度の社会的地位もあり、見た目は生真面目で温和。しかしこのヒルディッチにフェリシアも読者も、中盤から悩まされることになる。

そんなフェリシアとヒルディッチが知り合ったキッカケはほんの偶然だった。
人生が何かに導かれてゆくという意味でのリアリティを強く感じた。言葉や行動のうしろに人物の性格や考え方がよく見える。主要な人物に影を落としている人物、フェリシアの両親、ヒルディッチの母、またはジョニーの母なども重要だ。深く掘り下げてから描いているという事が安心感という形で伝わってきた。

ウィリアム・トレバーを読んだのは『聖母の贈り物』についで二冊目、好印象は変わらなかった。映画化されているが、映画は原作をどこかの部分で超えられただろうか?
<071211>






死の蔵書  
幻の特装本
              ジョン・ダニング   宮脇 孝雄・訳


別物ですが、続けて読んでしまったものでメモも一緒に。
別物といっても主人公は同じで、ま、シリーズ物ですね。
このシリーズ、翻訳物読みには面白くてしょうがない要素がたっぷり。
主人公クリフォードは冒頭では本好きの刑事、そのうち商売変え(!)して古書店の店主となる。クリフォードの言葉を借りて数々の作家や作品、それについての作者の評価なんかも垣間見えて面白い。私の好きな作家を褒めてあるとなんか嬉しいし、かれの一目置いている作家の作品を積んであることを思い出して「読まなきゃ」と思ったり、知らない作品をメモしたり。
この(古書の)業界には掘り出し屋っていう言葉があるんだな、古書の山の中から希少本を探し出し、タイミングをはかって古書店に持ち込む。上手く事が運べばそれが彼らの醍醐味だが知識と経験の積み重ねを要する仕事だ。扱うものはたかが本だがされど本。時には骨肉の争いや殺人まで招く事がある、というわけ。

加えていかにもって程でなく適度にハードボイルド的なところもあって楽しく読ませてもらった。ミステリとしては「死の蔵書」の方が好き。「死の蔵書」が面白かったので「幻の特装本」へなだれこんだ感があるが「幻の特装本」で描かれた手作り希少本の世界にはすごく惹かれた。

古書シリーズはあと2冊翻訳されている、楽しみ。

古書は面白い、神保町あたりにしょっちゅう行かれたらと思うのだけれど。でもつい二週間ほど前、地元の100均棚でカポーティの「クリスマスの思い出」を発見。結構ときめきましたよ、嬉しかった。
<071129>





さらば、アルハンブラ  深紅の手稿 (上・下)
                   アントニオ・ガラ   日比野 和幸ほか・訳
 
スペインにこんな歴史があったんだ、と知った。
イスラム文化ならではの技術と繊細さにあふれているあの美しいアルハンブラ宮殿がグラナダにあるという事実を知りながら、私にはスルタンといえばトルコとしかイメージできなかったけれど、8世紀から1492年の永きに渡ってイベリア半島にはしっかりとイスラムの王国がキリスト教国と共存していたのだ。

この作品はスペインの最後のイスラム王ボアブディルが、カトリック両王(カスティーリャ女王イサベルと後のアラゴン王フェルナンド)にグラナダの城を明け渡すに至る話を、ボアブディルの手記という形で描いた歴史小説だ。

ヨーロッパの歴史は宗教をめぐる戦争の歴史という一面が大きい。そして多くはその勝者によって語られるが、この作品は敗者、滅びてゆく者の視線で書かれている。どこかで「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」が頭にあったのかもしれない。この題材は文学できると私は期待いっぱいだった。
といってもあまり物悲しさに塗りこめられていても困るのだけれど、実際はボアブディルの心情を読み取りながら細かい歴史的背景説明は読まなくてはならないし、登場人物の名前も覚えにくく、なかなか物語に浸れなかったのが残念だ。
まあ背景が書いてあるからこそ王やその周辺の置かれている立場がよくわかるのだけれど、最後のスルタンというエキゾチックな響きや、「アルハンブラの思い出」の旋律などから連想する私なりの物語が勝手な先入観で出来上がっていたようで、その辺にちょっとした物足りなさを感じたといえるかもしれない。良かったと思うのは詩の部分。

ボアブディルは若くしてグラナダの王になった。父とも母ともそれぞれに違う確執を持ち、王位をめぐっては信頼していた叔父にも裏切られる。副題になった「深紅の手稿」は王位を継がせるはずだった子供たちに残すため綴っているが、その王子たちともそれほど幸福な時代を過ごしていない。幽閉や亡命など最後のスルタンの人生は閉じられている印象だ。

私にとって収穫だったのは、イベリア半島に残されたイスラム文化が現在に至るまでいろいろなものに影響しているということに思いを馳せるキッカケになったことだ。スペインやポルトガルが他の西欧諸国と異なった雰囲気を持っているのはそういったことだったのだと納得。

―特権というのは常に残酷な義務と釣り合うようにできている―(下巻p.231)

久しぶりの新刊本だ、装丁が美しくて食いつきました(笑)。
<071111>






果てしなき逃走         ヨーゼフ・ロート     平田達治・訳

うへぇー、最後の一行がすごいのだ。途中、私は何を読んでいるのだろうと思わないでもなかったが、最後にこう書かれてはぐうの音もでない。
すごい作家だな、じっくり時間をかけて読んだ、しかも読み終わってしばらく経つのに、感想が湧いてこない、言葉にならないというのかな。

第一章が美しい。主人公フランツ・トゥンダとその友バラノヴィッチをほんの4ページで語ったこの一文が美しかった。
舞台は革命さなかのロシアと第一次世界大戦で混沌とする中欧、トゥンダはオーストリアの将校だ。ロシア軍の捕虜となったが脱走、そのまま国へ帰るつもりが思うように事は運ばなかった。故郷の地を踏むのに実に10年を費やさなくてはならなかったのだ。それは社会にとっても、個人にとっても長い10年だった。
時代による運命の哀しさが通奏低音のように響いている、やるせない。

手紙が良かった、やっぱり私は手紙に弱い。トゥンダからのロート宛ての手紙(p.74)、そしてバラノヴィッチからトゥンダに送られた手紙(p.208)。バラノヴィッチからの手紙にはぐっと来た。バラノヴィッチとの関係こそがトゥンダにとって生きていることの証のように思うけれど、彼はそれに甘んじない。
<071017>





ヒストリー・オブ・ラヴ       ニコール・クラウス    村松 潔・訳

ゆさぶられる。
心拍数がどんどん上がる、感動の高みは最後に集約され、読み終えてしばし呆然。
人生は一人一人、本当に重たい。

ある一人の少女の為にイディッシュ語(中東欧のユダヤ系の言葉と認識)で書かれた一編の小説がたどった道筋を軸に、関わる人物を描いている。独白や日記などが最初は無関係に積み上げられているようでいて、それがだんだんと関連性を帯びてくる。

その小説「愛の歴史」を書いたのはレオポルド・グルスキ。母国ポーランドで母と弟を亡くし、今はニューヨークに住んでいる。渡米したのはたった一人愛した幼友達のアルマに再会するためだったが運命はすでに思いとすれ違っていた。
―孤独については、それをまともに受け止められる器官はない―
そう言うレオポルドには80歳を過ぎても孤独がつきまとう。

「愛の歴史」をスペイン語に翻訳したツヴィ・リトヴィノフもポーランドを離れている。物書きとしての才能には恵まれなかった。その失意の底で出会ったローザの為に背負った良心の呵責に悩まされている。
−わたしはおまえに愛してほしかったんだ−
彼の人となりを読んでいても泣きそうになった。

そのほかにもアルマ、アイザック・モーリツ、もう一人のアルマ、アルマ・シンガーとその母シャーロットと弟のデイヴィッド、それぞれが悩みを抱えて生きている。
でもやはり、自分で選び取ってきた人生だとしても、不運に押し潰されそうになりながら、諦めにも似た忍耐で全てを受け容れている老人たちの存在は圧倒的だ。

とりわけレオポルドの孤独は哀しかった。彼は10歳の時
−存在しないものが見える人間になれる−
ということに気がついた。
それを信じているうちに、いつか現実と自分の考えていることが区別できなくなっていたかもしれないが、それは精神上必要な本能だったように思う。
ブルーノだ、彼を支え続けた親友のブルーノについての真実だ。
「彼は1941年7月のある日に死んだんだ」
と告白してしまったレオポルドを支えるものは、もうない。
でも、引き替えに彼は、自分が守ってきた歴史を誰かが知っていてくれた幸せ、気がついてくれたことへの安堵を得たのだと思いたい。
まさに魂の慟哭。

著者は1974年生まれ、若い。
<070914>






貴婦人と一角獣        トレイシー・シュヴァリエ    木下哲夫・訳

フランスはパリのクリュニー美術館(中世美術館)に現存する6枚のタピスリーがモチーフとなっている。本の表紙や見返しを飾るそのタピスリーの部分画像を見れば、是非実物を間近に見てみたいと思うし、この本にはどんな話が紡がれているかと期待はいっぱいになった。

タピスリーの織り上げられる過程を、関わった人物が語っている。語りの場所、時期、語り手の名前だけが並んでいる目次の字面が美しい。資料を元に想像力を膨らませ、その由来のミステリアスな部分を補う形で物語を綴っているが、これは作者のタピスリーへの賛歌と言えるかもしれない。

原画を起こした絵師ニコラ・デジノサンは依頼者の娘クロード・デ・ヴィストに恋をした。ストーリーはまわり始めるのだが、実は二人の会話と年齢が私の中でしっくりこない。腕の良い絵師ということでニコラは中年男かと思っていたし、クロードは確か14歳とあったけれどそれでこの台詞?と、私としては違和感がいっぱいだったが、中世なんだし貴族だしと読み進む。

ブリュッセルの織元の娘、盲目のアリノエール・ド・シャペルの語りは魅力的だった。自らの置かれた立場を受け入れてしかも前向きな生き方が、シュヴァリエの出世作『真珠の耳飾りの少女』を思い出させた。

ニコラは主人公のように見えるが、行き逢った女性たちを画紙に映すその役割は狂言まわしのようだ。図柄を提案したクロードの母ジュヌヴィエーヴ・ド・ナンテールも、条件の悪い仕事を引き受けた織り師ジョルジュ・ド・シャペルやその妻クリスティーヌ・デュ・サブロンも下絵師のフィリップ・ド・ラ・トゥールも、このタピスリーに関わった人々は一様にニコラの原画に魅せられている。だからこそ出来上がった美術品だったのだ。

MEMO
色を感じることもできる。赤は絹のように滑らかで、黄色には棘があり、青は油のようにぬるっとする。(p.124)
天然の染料で染められた糸は、手触りで色さえ判別できることは驚きであると同時になぜか信じられる気がする。
<070902>













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