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奇蹟の輝き
睡蓮の長いまどろみ (上・下)
贖罪(上・下)
不思議な少年
アムステルダム
幸福な王子(ワイルド童話全集)
君のためなら千回でも(上・下)
淋しい狩人
龍は眠る

密会








密会               ウィリアム・トレヴァー  中野恵津子・訳

この短編集は相当よかった、渋かった。
多少暗いけれど雰囲気がいい。
たぶん好きとか心地よいとかいう私の感想だけではなく。

死者とともに
再生。話すことが生むもの。
今しかたどれない過去、死者とともに。
死者の家族に寄り添う人、こういう風習があるのか。

伝統
少しミステリー色を漂わせて、幻想的だ。
知る者だけの秘密、Traditionねぇ。

ジャスティーナの神父
悲しみが横たわっている日常。神父の思い。

夜の外出
二度と会うことはないだろうけれど、そして又どうでもよい相手だと思ったけれど、互いに素を見せられた相手でもあった。

グレイリスの遺産
ちょっとした波乱は過ぎた。
彼の本意を理解する人がいてもいなくても。
そして表面上は何も無かったように元に戻ったように見える。

孤独
幸せそうな少女時代の記憶がたくさんあるのに、傍らにいるのは亡霊ばかり。

聖像
こうして消えてゆく文化や技術があるはず。

ローズは泣いた
知るものの心が痛む、いろいろな意味で。

大金の夢
幸か不幸か、時間が分別を与えた。

路上で
さまよっている。

ダンス教師の音楽
いつまでも新鮮な印象を保ち心を支える、一度聞いただけなのに永遠に忘れられな い奇跡のような旋律に出会った。
ある瞬間の映像や会話、音、どんな人にもこんな記憶があるような気がする。

密会
これが表題作なんだ。
苦手系の話なのでさらにはコメントなし。

「ダンス教師の音楽」が断然好きだ。
そして「グレイリスの遺産」と「聖像」
<080827>






龍は眠る              宮部みゆき

雨の中、ある新聞社系の雑誌記者高坂昭吾は、稲村慎司という少年に出会った。
ほかのどんな音もかき消すような激しい雨音が読みながら聞こえた、そして見えた。
冒頭から迫力の筆致、読者の気持ちをがっちりつかんでくれる。
大雨の中で、すでに何かが起こっていることは想像に易い、でも何が?
それが見えた瞬間、背中を冷たいものがスッと走る。

後になって昭吾は慎司から自分が超能力者であることを打ち明けられる。慎司には人の気持ちが読める、人や物によらずその過去が見えるというのだ。昭吾はそれを俄かには信じられない。

こんな能力があれば安直に思いつくのは楽しいことばかりだ。人はうらやましがり、面白いことも体験できるだろう。でもよく考えれば、それは大間違いだということがすぐわかる。そうした能力は往々にして人に受け入れられなかったり気味悪がられたり、果ては利用されたりする。
超能力を扱いながらSFというより実生活を生きる人を描いていることが現実味を増す。

知らなくて良いことを聞いてしまっただけで、会話やしぐさがぎこちなくなってしまった経験がある。それが知りたくなかったことだったら、知ってはいけないことだったら。
という具合に少し自分にひき寄せて考えれば、「さぞしんどかろう」と多少理解もできるというもの。能力があればあるほど、人知れず苦しみながら世間には隠し通そうとするかもしれない。その辺が「犯人は?」の部分に増して興味深かった。

作中、もう一人織田直也という青年が出てくる。彼も超能力者。そして七恵という手話が必要な女性が登場する。
人の能力はあり過ぎても消えてしまっても苦労だ。それらが個性としてもっと受け入れられ、自然に生かされる世の中になればすばらしいのに。
<080819>






淋しい狩人      宮部みゆき

荒川土手下にある田辺書店がかかわる世話物テイストの軽いミステリー全6編。全て本にまつわる話だ、一つひとつ面白かった。

田辺書店を守るのは雇われ店主の岩永幸吉、通称イワさんとそれを手伝う孫の稔だ。前の店主はイワさんの親友樺野裕次郎だったが亡くなってしまった。店を引き継いだ名目上の経営者は息子の樺野俊明で店をイワさんに任せている。俊明は警視庁の刑事なのだ。
推理上手なイワさんと稔に刑事の知り合いがいれば、事件解決の準備完了というわけ。

六月は名ばかりの月   
黙って逝った
詫びない年月
うそつき喇叭
歪んだ鏡
淋しい狩人
<080805>







君のためなら千回でも(上・下)   カーレド・ホッセイニ  佐藤耕士・訳

まず、題名が私のツボにはまった。
君のためなら千回でも…千回でも。
千回でも何?千回でも何だっていうのだろう?

「君のためなら千回でも」アフガニスタンにはこういう言い回しがあるのだろうか?
覚悟を持って発せられたせりふであろうと想像していたが、本心からさらりと出たその言葉の穢れのなさは、なんて切なく心を打つことか。

アフガニスタンにまだソ連の脅威や内戦がなかった時代。主人公アミールはカブールのある裕福な家庭で、自分の出生が父ババの最愛の妻を奪ったことや、強くたくましい父の期待に応じ切れないことに心を痛めながらもまだ平和な少年時代をすごしていた。屋敷には使用人のアリとその息子ハッサンが二代に渡って、ババとアミールの父子に仕えていたが、ハッサンはアミールにとって使用人であると同時に同じ乳母の乳を分け合った幼馴染でもあった。歳は変わらないのにハッサンは、アミールが学校に行っている間は屋敷で父の手伝いをする一方、いつもアミールに寄り添い、日常の世話をしてくれるし、遊び友達でもあった。それはちょうど父ババとアリの関係のように、いつまでも続くはずだった。

しかし現実にはそうは行かなかったのだ。
栄誉を勝ち取れば友情の絆を確かめ合い、父からも認められ、最高の日となるはずだったある凧追いのお祭の日。少年たちを不幸が襲い、それが二人の、更にはババとアリ、ババとハッサンの別れにも発展してしまった。
それ以来、少年時代の深い後悔の念をアミールは持ち続けることになる。償うこともできぬまま母国を去ったババとアミール父子だったが、アメリカでの生活は容易なものではなかった。

贖罪の物語だ、強い良心を持つ人ほどさいなまれる後悔の思い。
何かをしてしまったのではなく、何もできなかった後悔。
償う場を与えられるものならどんな目にあってもいとわない、弱い自分を呪うより。
君のためなら千回でも
年月を経てもう一度使われるこの言葉
今ならできる、今だからできる償い。

小説を全部読んでみると原題The kite runnerもすばらしいことがよくわかる。
今、テレビなどで目にするアフガニスタンとは全然違う風景の中で、子供たちが凧を揚げ追いかける様子を思い浮かべると、その歓声や足音が聞こえるようで目頭が熱くなる。

Memo
1978年4月  共産主義者クーデター
1979年12月  ソ連軍侵攻
1989年    ソ連軍アフガニスタンより撤退
(東西冷戦終結 ベルリンの壁崩壊 天安門事件も同年)
その後 イスラム聖戦士vsソ連傀儡政権
そしてタリバンの台頭へ
<080615>






幸福な王子(ワイルド童話全集)   オスカー・ワイルド   西村孝次・訳

絶対誰でも知っていると思う童話「幸福な王子」
オスカー・ワイルドの作品だってこと、私は知らなかった。
え?あのワイルド?本当に?と思った。

自己犠牲と無償の愛の物語。
子供のころは只ただ悲しいお話だと思った。
でも、金箔がはがれ、宝石の眼をえぐられてみすぼらしくなった王子の像と冷たくなったツバメのむくろは、たとえばマッチ売りの少女やフランダースのネルロのように、あの世で幸せになっただろうか?とそんな風に思っていたのだと思う。

この童話集が詩人ワイルドの始めての散文作品らしい。
表題作をはじめ9編の童話が収められている。
でも正直なところ童話と言われても首をひねってしまう。
「幸福な王子」は別としても、ほかの作品は子供が楽しんで読むとは私には思えないし、子供に読ませたいともあまり思わない。寓話も相当強烈だ、童話の定義、要再考。

ところが文章はさすがに格調高く美しく、大人の読み物としては面白い。その後のワイルドの作品を思わせるようなデカダンス、美の追求、エゴ、怪しげな雰囲気等々の片鱗が配役や背景、話の終末などに感じられる。

幸福な王子
ナイチンゲールとばらの花
わがままな大男
忠実な友達
すばらしいロケット
若い王
王女の誕生日
漁師とその魂
星の子
<080601>







アムステルダム        イアン・マキューアン    小山太一・訳

前回読んだときの読書メモが残っていない。感想はおぼろげながら前回はなんとなくヴァーノンに肩入れして読んだような気がする。今回はクライヴの立場がよく見えてきた。

文庫本で200ページほどの作品ながら読みではその予想をだいぶ上回る。
冒頭のシーンは魅力的で自由に生きた女性モリーの葬儀。若くして心や身体をコントロールできなくなったその亡くなり方は参列者たちにとっていささかショッキングだった。華やかな生前が認知症の残酷さを浮き立たせ、残された友人たちに少なからず考えさせるものがあった。

主人公はこのモリーかと思いきや、実はモリーを取り巻く四人の男性だ。作曲家、新聞社の編集長、大物政治家というモリーのかつての恋人たちと夫をめぐるかなり濃いお話。
モリーを通して存在していた友人関係は微妙に変化してゆく。何の死の準備もできなかったモリー亡き後、モリーの残した数枚の写真をきっかけに。

作曲家クライヴと編集長ヴァーノンの関係に主なる焦点があたっているが、この展開は良くも悪くもかなり小説的。本人たちは望むところではなく、でも作品的には必然といえる。

作曲家が音楽を練り上げてゆく過程、インスピレーションをいかに譜面にかたちにするか、そのデリケートな作業は臨場感があった。もしその作業環境がぶち壊された場合は、二度と同じインスピレーションや感情の高まりを得ることはできず、修復は困難だ。芸術家にとってそれがどれだけ腹立たしく口惜しいことか。作家の仕事に通じるものがあるのだと感じる。

他人とそして自分との戦いがあったとすれば、結果としての色分けは敗者と勝者。

うーむ、新刊『土曜日』だって当然読みたい、でも私は文庫化を待つんだろうか?
<080517>







不思議な少年
         マーク・トウェイン    中野好夫・訳

16世紀のオーストリア。
子供の教育といえば学校の勉強よりは正しいクリスチャンになることが重要視されているような、のどかな環境のエーゼルドルフという村で、ある日三人の少年が出会ったのはサタンと名乗る堕天使だった。
狭い世界に住んでいる少年たちにとって、サタンから聞く話もサタンが見せる魔術もそしてその姿形も、何から何まで驚きであり魅力的であり、少年たちはたちまちサタンのとりこになった。

実はサタンが少年たちに示しているものは、人間の愚かさや残忍さ、または哀れさ弱さなど、人間にとって厳しい側面ばかりだ。承服できかねる内容に腹立たしい気持ちにもさせられるが、少年たちはサタンの魅力には勝てない。なぜか一緒にいるだけで幸せな気分になってしまうのだ。

人間をいくらでも代わりのいる取るに足らない存在のように言い、気にかけるほどの価値すら認めない。「人生そのものが単なる幻…夢だよ、ただの」こうした考えを展開している作者は悲観論者になりきって書き上げたのか、あるいは本当に世をはかなんで何かをさとってしまったのだろうか。とにかく人間に容赦がない。
でもそこには大変説得力のある現実もあって、昨今の社会情勢を考えるとはっとさせられる部分もあった。

良心とは「善と悪とを区別する私たちの能力」「良心こそが人間とけだものを区別するもの…」と人間には言わしめながら、良心を持つ人間がほかのどんな動物より残酷な行為に及ぶとサタンには指摘させる。人間はこの矛盾にうなだれるしかない。

ただひとつサタンがほのめかした人間の救いは「笑い」だった。でもそれさえ人間は有効に生かせていない。こんなふうに少年にそして私たちに問いを投げかけて、サタンは去ってしまった。
<080507>





贖罪(上・下)
                 イアン・マキューアン    小山太一・訳


こんな言い方は何だけれど、まあ、なんとあっぱれな作品だっただろう!

1935年イギリスのある高級官僚の屋敷では、13歳の少女ブライオリー・タリスが自作の劇を公演しようと準備に熱中していた。
その日タリス家に集ったのは帰省した兄、その友人、大学を終えて実家に戻っていた姉、母方の叔母の三人の子供たち、タリス家の使用人たち、そしてブライオニーとその両親。劇の成功は誇らしいことであり、祝福されるはずのことであり、そしてその日は幸せな一日であるはずだった。

第一部ではその日のことが丁寧に書かれている。事象で描かれた人物と、思いで綴られた人物がある。この日に初めてお互いの愛に気づいた恋人同士がいた。ブライトニーは思いのほかに劇の準備が難航しとうとう挫折するが、ある瞬間自分の子供時代が終わったことを自覚した。いとこ達は家庭の事情から生じる不安定な心をもてあましている。夫や家族についてのエミリー(母)の思考は特に印象深かった。

問題を含みながらも一見平穏にも見えるその日が終わろうとしていたとき、事件がおきる。
そしてそれをきっかけに一生をかけて贖罪を求めることになるブライオニーの過ちが生じてしまう。悪意も計略もなかったが、それは重い間違いだった。

長さとして約半分を占めるこの第一章が、ある意味序章となっているところがすごい。
第二章、第三章は背景が第二次世界大戦に入り文面がシリアスさを増してゆくし、その相乗効果で緊張感はさらに高まって、息をつく間もない。
しかも贖罪の行く方に動揺したまま、突然に意外な構成上の設定を見せられてしばし呆然。
終盤の行間には作家として人として考え方が見えてすばらしかった。

イアン・マキューアンを読むのは三作目ですが、わたくし的には間違いなくベストです。
<080502>






睡蓮の長いまどろみ (上・下)    宮本 輝


宿命、因果。
「因果倶時」とは原因が生じると同時に結果もそこに生じているという意味だそうだ。
花と実が同時に出来る蓮の特異性から生まれた言葉らしい。
哀しみを持って生まれてくる人間たち。
そういったものを静かにつぶやくように綴る宮本 輝には毎度泣かされる。
思い当たるというのではない、人として共有する性(さが)に触れるという感じだ。

生まれた時から定められている宿命に精一杯立ち向かった森末美雪は、主人公世良順哉が生まれてまもなく別れた母で、現在は孤児の施設の理事となっている。
巡礼の地アッシジで順哉はひそかに美雪の別荘を訪ね、名乗らぬまま母と出会った。

一方、襲ってくる宿命に屈してしまったのは少女加原千菜。「さよなら」と言い残し順哉の目の前で6階の非常階段から身を投げた。その場に行き逢ってしまった上に助けられなかった衝撃が思いのほか尾を引いたが、その後千菜は自分の中にいる女として順哉のイメージの中に現れるようになる。

周囲に起こる死、この世ならぬ世界、ナイフ、蓮の花、そして「落ちる」という言葉などが妖しげな雰囲気をかもし出していた。

Memo
与えられた場所から始めなくて、どこから始めるんだ(下p.176)

私は自由自在に自分の人生を作っていけるはずなのに、何を怯えているのか……。(下p.246)

罰が当たって、みすぼらしくて恥ずかしい姿になった自分を、人間てのは必ず自分が苦しめた相手にさらすんですね。(下p.185)
<080413>







奇蹟の輝き        リチャード・マシスン  尾之上浩司・訳

死後の世界を体験している魂から兄にあてて、霊媒を通して手紙がとどく。
送り主は事故で亡くなったクリスで、臨死や遊体離脱の状態や天国での体験を書いている。

私は霊的能力が全然ないけれど、死後の世界はあってもいいなと思っているほうで、現世は修行の時とか、生まれ変わりとか、亡くなった魂が近くで見守ってくれている…というような感覚も否定しませんから、それなりに楽しみました。
「心が全て」
来世もこの世も、それぞれの心が描くそのままらしい。
弟クリスの魂が選んで転生しているかもしれない赤ちゃんに、兄がそっと会いに行くシーンがよかったな。
<080331>



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