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荒野へ
第七官界彷徨
ビラヴド 
ラヴ
螺旋
息子を奪ったあなたへ
仏果を得ず
青い野を歩く 
通話 
古書の来歴





古書の来歴      ジェラルディン・ブルックス    森嶋マリ・訳


1996年オーストラリアはシドニーのある日の真夜中、古書鑑定家のハンナは中世に作られた伝説的稀覯本サラエボ・ハガダーが発見されたという知らせを受けた。

ハガダーとはユダヤ教徒が過越しの祭りで使用する本だそうだ。宗教的美術品をいっさい作らなかったといわれる中世のユダヤ教の認識を覆す意味でも、全ページに美しい細密画が描かれたこのサラエボ・ハガダーは重要な歴史的書物だった。1894年にサラエボで発見された後、戦乱に紛れ行方がわからなくなっていたのが戦後再発見され、その鑑定にハンナが関わることになったのだ。

ハンナは本に残された小さな手がかりを探し出す。昆虫の羽、ワインのシミ、塩の結晶、そして染色された細い動物の毛。物語は時代をさかのぼりながら、それらの手がかりからサラエボ・ハガダーがいつ誰の手で作られ、どこで誰に所有され、どんなふうに守られて、500年もの歳月を経てきたのか、その様子が垣間見られるのだ。歴史的背景を踏まえ、科学の力を利用し、想像力を目一杯駆使してのミステリーの解明だ。

本書はフィクションではあるけれど、サラエボ・ハガダーは実在している。ボスニア紛争の折には爆撃、砲撃で灰になった蔵書も多かったが、あるイスラム教徒の学芸員の機知で銀行に保管されていたというエピソードもあったらしい。

原題は"People of the Book"。
邦題も素敵だ、でも書かれているのは500年、300年と時代を隔ててこの本と共にあった人々の様子だ。奇跡的に後世に残された羊皮紙の書物をめぐる人々を描いたファンタジーだった。

ちょうど読書中はiPad発売の時期。もし誰もが電子媒体で本を読むようになったら、有り得ない物語であることは間違いなく、そう思うと感慨深いものがある。
<100606>






通話                ロベルト・ボラーニョ  松本健二・訳


まず、魅力的な表紙。緩やかなドレスを着た女性の後姿に南米へといざなわれて。

「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」の三部構成。それぞれが5編、5編、4編の短編から成っている。
文章は簡潔だ。情緒的なものはこちらにゆだねられている。でも、行間に隠されているものは計り知れず、どこまで読み取れたかわからない。

「エンリケ・マルティン」と「クララ」が印象に残っている。悲しいのだ、といっても悲しみは全般に漂っているけれど。目指すところへ這い上がれない作家や詩人の志願者たち。うまく歩めない人生。
書くことで食べてはいるけれど、世に認められているとはいえない作家同士が文通する「センシニ」も味わい深かった。面白く読んでいたのにだんだん奇妙な世界に引っ張られたような気がしたのが「刑事たち」だった。

どの作品も奇を衒うというのではないが、いっぷう変わっているかもしれない。こういうのはちょっと読んだことがないな、という印象。

政治や社会がもたらす影響もあるけれど、報われているとは思えない人々の物語だ。恐怖やあきらめ、驚き、達観、怯え、いろんな感情が混沌としていた。自信や怒りをちょっと自虐的な姿勢で覆い隠しているようなところも作風なのかもしれない。
<100528>






青い野を歩く            クレア・キーガン  岩本正恵・訳

舞台はアイルランドの片田舎だ。古臭いというのではなく、汚されていないという意味で時代の変化とは縁がないかに見える人々の営み。その中でスポットを当てられるごく少数の登場人物たち。作者はその登場人物たちの人生を静かに傍観している。

独特な空気感をたたえた短編集だった。

人は時として意外なほどに人間臭く、色濃く顕れる宗教観には「畏れ」を一番感じた。自立、別れ、孤独。読んでいると、人間の単位は一人という思いが浮かんでくる。

白水社、渋いね。
<100516>







仏果を得ず                   三浦しをん


面白かったぁ。関西弁を文字で読むんですな、これがしっくりいくんですね。

文楽の演目8作品の内容と、太夫や三味線使いたちのちょっとした日常生活を絡めて、文楽の世界を親しみやすい角度から描いて見せてくれている。
太夫、三味線、人形使いが三位一体となって作り上げる舞台の高揚感。盛り上がるし引き込まれるし、たっぷり楽しみました。

文楽は数回しか観たことがないけれど、あの人形のしぐさの愛らしさは本当に好き。浄瑠璃も迫力が印象的だ。比べるのはなんですが、個人的には歌舞伎より好きかもしれない。だから本当に楽しめた、また劇場にも行きたい気分。

三浦しをんさんお初です。
<100511>






息子を奪ったあなたへ   クリス・クリーヴ   匝瑳(そうさ) 玲子・訳



>親愛なるオサマ

これが書き出しだ。テロによって夫と幼い息子を亡くした女性が語り手。
手記だと思って読み始めた。これは私の思い込みだったが、その形をとったフィクションだ。でも今の時代、明日にも現実になりうる信憑性が恐ろしい。
事実舞台となったロンドンでは、本書の出版日に地下鉄と二階建てバスの同時多発テロがあり、その符合が騒ぎを呼んだことが解説にある。

残された者の終わりのない苦しみが渦まいている。人生を狂わされる理不尽。弱者にばかり背負わされる困難。

>爆発というのは一瞬の出来事だと思い込んでいた。…閃光は一瞬で消えるのに、炎は人の心を鷲づかみにし、音は永遠にやまない。

しかもその音は、どうしても当事者にしか聞こえない。そうだ、たとえ寄り添うことは出来ても、同じようには聞こえない。
そして、彼女(語り手)は知ってしまったある事実の為に、更に混乱する。これがまたきつい。問題提起。
<100508>






螺旋           サンティアーゴ パハーレス     木村榮一・訳

面白かった。原作者が達者なストーリーテラーであり、翻訳も滑らかでどんどん読める。
出版社の編集者である主人公が謎のベストセラー小説の作者を探す話と、麻薬中毒から抜け出そうとしている青年の話が、深い関係はないが二度三度交差する。それぞれに人間同士の関わりの明るい部分をよく表現しているので、心温まる読後感だ。
本が話の軸になっているから、本好きの気持ちをくすぐる箇所も多々あって心憎い。600ページの大作ながら、どちらかといえば一気読み系の作品。

ダビッドは編集者だ。コーアン出版で担当した作家に心を配り、時には相談にものり、実質的な補佐もしながら作品を生み出す為に尽力するのが仕事だ。仕事はまずまずこなしている。でも長期に留守にすることが多く、家庭に生じ始めた問題は微妙な時期をむかえていた。そのダビッドに社長コーアンから新しいミッションが与えられた。

コーアン出版には第5巻まで大ヒットした「螺旋」というベストセラーがある。売り上げは会社を支えるほどなのだがこの作品には謎があった。通常とは違い原稿は一方的に送られて来るばかりで、読者はおろか出版社の社員も、社長すらもその作者を知らない。それは明らかにされないまま第5巻までは出版されたが、二年ごとに送られてきていた原稿がその後途切れて5年過ぎた時、社長は痺れを切らした。しかも原稿もないまま第6巻の発行を発表してしまったから窮地に陥った。そこでダビッドが呼ばれたのだ、つまり彼の新しい仕事は「螺旋」の作者トマス・マウドを探し出し、次の原稿を持ち帰るということだ。

ひたすら楽しんで読んだらいいと思う。20代半ばでこれほどの作品を書き上げてしまった作者はきっと小説があふれ出てくるタイプの作家なのだ、まだまだ作品を発表してくれるに違いない。そうであってほしいのだ。
<100420>






ラヴ         トニ・モリスン     大社(おおこそ)淑子・訳


ちょっと骨が折れた、途中で放棄しようと何度か。
連日出かけてちょっと疲れていたのもあるのだけど、電車で読み始めるとまぶたが重くなってなかなか進まない。そういう状況ではどうしても頭に入ってこない構造になっている。突然のフラッシュバックや固有名詞より代名詞が先に来る文章など、だから時々立ち止まる。

でも、前回も思ったのだけれど、読後にどーんと「よかったぁ」と思わせるのがトニ・モリスンなのかもしれない。この作品も、終盤に交わされる「」のない会話部分などほろりとさせるものがある。

まだ幼くて、相手がそうと認識できないうちに出会って、そして引き離されてしまった無二の親友同士の少女たちが、どんなふうにその後の人生を過ごさなくてはならなかったか。
そんなテーマなのですが、これ、再読したらもっと良さがわかるはず。だけどすぐにって気持ちになれない。たぶん原作の文体が複雑なのだと思います。訳者が違うにもかかわらず、前回読んだ「ビラヴド」も本作品も訳が難しそうだった。
<100409>







ビラヴド                トニ・モリスン    吉田迪子・訳

亡霊の棲みつく家に暮らす元奴隷のセサとその娘デンヴァー。セサは奴隷として居た農場から逃亡し、その途中でデンヴァーを出産した。デンヴァーには二人の兄と一人の姉がいたが、いまは三人とも家には居ない。兄たちは亡霊を嫌い家を出て行ったし、姉は亡くなったのだ。亡霊は時に荒れ狂い家族を悩ませたが、あることを機に静まった。しかし、その後この家に現れたビラヴドは、亡霊以上に二人を責め苛んだ。セサとデンヴァーが逃げずにビラヴドを受け容れるのには訳がある。

ビラヴド、Beloved、愛されし者。
セサはかつてやむなく実の娘を手にかけた。迫る追っ手を前に、わが身と同じ苦しみをこの子にも与えるくらいならと、娘の細い首に鋸の歯を当てたのだ。そして墓碑に記した言葉がビラヴドだった。
同じ名前の少女が現れたのだ。そしてしきりにその出来事のことをなじる。甘いものをねだり、愛を求める。魂なのか実在なのかすら判然としない。でもセサにとってはわが娘としか思えない、それがセサの真実だった。ひたすら愛を注ぎ、なぜそんなことになったのかわかってもらおうと話し続け、憔悴して行くセサ。

ビラヴドという名の少女の存在が、幻想的で異質な空気を作るが不自然さはない。うまく融合するに足りる地盤が、アフリカ系アメリカ人たちの持つソウルフルな部分にあるのだと思う。
作品の構成は時間を行き来しながらだんだんと全容を見せてくる手法で少し戸惑うが、見えてくれば来るほどに気持ちは強く揺さぶられる。

トニ・モリスンは6千万もの祖先たちへ鎮魂の気持ちをこめて、奴隷制度の歴史をこのような形で著した。取り上げるのは本当に難しいテーマだ。悲しみや怒りがない交ぜになった感情はどう表現しても足りることはないだろう。どうしたって重い作品ではあるけれど、終盤の静けさの中にわずかにさわやかさを感じたのは間違いだったか?それが作品の価値を更に高めているように思った。そこには力いっぱいメッセージも込められている、浮かんでくる情景には神々しさを感じたし、小さな安らぎには安堵した。

読んだのはちょっと前なのだけれど、こうして書いていると、だいぶ心動かされたのだと今更ながら。
<100328>






第七官界彷徨                 尾崎 翠              


惹かれる題名だ。読んでみなけりゃ、と思った。
第七官とは。
人の、五官ではなく第六感とも違う何かで感じる世界、なのか。
「第七官界彷徨」の中で、語り手の「私」は
>私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。
と考えている。
そう、そこに「第七官」は出てきた。
でも、どうしたらよい?これが、最初の感想。うまい言葉は見つからない。

コケの恋愛って言われたって・・・
自宅で肥やしを煮るなんて・・・
読み飛ばせないので付いてゆくけれど、頭は柔軟にしておかなくちゃ。そのうち可愛らしいエピソードを楽しめるようになる。

私にはこの「第七官」という言葉の印象がとても強かったので、「ちくま日本文学 尾崎 翠」(文庫)、15編の短編と1編の詩からなるこの一冊を読む間、常に「第七官」が意識から離れなかった。
いま思えば先入観を持って、読んでしまったというところ。

作品全体から漂ってくる雰囲気に、作家自体がどこか現実離れした世界を浮遊しているように生きた人だったのではないかと思わせるものがある。ユーモアのセンスや茶目っ気も持った人だと思う。そしてもちろん独創的な発想を持った人だ。しかも現実生活を地道に生きることをきっちり受け止めていたはず。
生まれてくるのが早すぎたという言い方があるけれど、この作者にも当たるのかもしれない。超えていたのでは。

面白いと感じ、すごいとも思う。しばらくするとはまってくるのだ。どうすごいかといえば多様性だろうか?独特な魅力なんだろうか。年譜を見ると若くして書くことをやめているのが残念だ。「第七官界彷徨」を書き上げたころ、周囲の文学仲間は錚々たるメンバー、芥川龍之介、佐藤春夫と同世代で、平林たい子や林芙美子との交流もある。大学(日本女子大)の同級には宮本百合子や村山リウの名前もあった。作家活動が順調に行っていたら、後にどんな作品を送り出していたのか。

元々手紙文を好む私であるからして、「無風帯から」はテンポよく読めた。妹のことを心配する兄が書く、友人に向けての手紙。学生時代に発表しているというのは驚いた、人の気持ちを奥深く追求し、気遣う気配があって、若いときの作品とは思えない。
<100313>






荒野へ            ジョン・クラカワー     佐宗鈴夫・訳


その出来事のインパクトは強烈だ。この表紙の写真こそが、クリスが息を引き取ったバスなのか。朽ち果てたバスの中でやせ細った遺体となって発見されたなんて。どうしてそんなことになったのだろう?1992年8月、アラスカの荒野スタンピード・トレイルでのこと。

放浪の果て一人で餓死したとされ、当時世間で話題となった青年クリス・マッカンドレスの生い立ちや、その死に至る約二年間の足取りを追ったノンフィクション。

クリス・マッカンドレスのたどった道は、結果として特異なケースだった。経験や謙虚さの不足が批判の対象にもなって当然だとも思うけれど、そうなるに至ったこの若者の心に引かれる人は多いと思う。それもベストセラーの所以だろう。

著者はクリスの遺体が発見された直後、つまりマスコミが大きくこの事件を取り上げていた当時、ある編集社から雑誌の記事を依頼された。その記事を書き上げた後も遺族をはじめ関係者に取材を続け、この記録を上梓した。自身ノンフィクションライターであり、登山家。
<100223>




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