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停電の夜に
漁夫マルコの見た夢
コンスタンティノープルの渡し守
プロヴァンスの青い空と海
プロヴァンスの小さな家
姑獲鳥の夏
Veronika decides to die
霧の都
アルケミスト
ピエドラ川のほとりで私は泣いた





ピエドラ川のほとりで私は泣いた 
        パウロ・コエーリョ  山川紘矢 & 山川亜希子・訳

コエーリョ、3冊目。題名が良いじゃないですか?
ググーッと即座にひき込まれると思ったのですが、なぜかなかなか読み進まない。こういうこともあるのです。
主人公ピラールは子供の頃互いに引かれ合っていた「彼」に12年ぶりに再会しました。(なぜだか彼は彼で、最後まで名前が出てきませんでした。)
この再会はピラールに動揺を与えます。これまでの自分を振り返り、これから本当の意味でピラールがピラールらしく生きて行くための気付きと勇気を与え、しかもかつて持っていた宗教をも取り戻すことになります。
一方彼は、現在修道院に身を置く立場ですが、自分の歩むべき道に迷っています。彼はピラールに変化をもたらした訳ですが、同時にピラールは彼の将来を決める指標となりました。

一般的な日本人(私はそうだと思うのですが)の宗教感から行くと、なかなか理解しきれない、自然には深く共感するまでには至れない悲しさがあるのですが、コエーリョの神への考えがいたるところに描かれています。それを、彼の台詞の中や、ピラールと神父との会話の中に静かに語っていますが、押し付けるのではなく、読者にゆだねるような優しさがあるように思います。

そう、読み手の心理状態、コンディション、によっては随分違った読み取り方がされるような気がするし、感想も変わってくるかもしれない。
その辺が捉えどころがないと感じながらも、じっくりと読んでみたいと思わせるお話なのかもしれません。

今回ココロに響いたのは
「信仰によって神に近づけば近づくほど、神は簡素になってゆく。」(P.191)という部分でした。
<021118>





アルケミスト 夢を旅した少年  
           パウロ・コエーリョ   山川紘矢 & 山川亜希子・訳 

主人公サンチャゴはエジプトのピラミッドへつれて行かれる夢を2回見た。
夢を解釈できる老婆がピラミッドはあることを教えてくれ、セイラムの王様は決心できるよう助けてくれた。純粋で聡明な少年は夢の地を目指し、旅を始めます。こういう話の主人公に「少年」というのはどうしてこんなに似合うんだろう。

アルケミストとは錬金術師のことだそうです。
錬金術といえば私は、中世のヨーロッパ、逃亡不可能な城の塔の中に閉じ込められ、むなしく研究を強いられている、夢を追いながら年老いた悲惨な錬金術師を思い浮かべるのですが、このお話にはもう少し深い意味合いがありました。

夢見た物を真摯にコツコツと求め続け、それを得る人は、自然にその夢にふさわしい人へと成長することが出来るわけで、少年の旅の随所に、作者の人生観がにじみ出ています。素直にそうだそうだとうなずける部分があれば、忘れていた大事なことを思い出させてくれる部分もありました。励まされる言葉もあったし、まるで児童教育か自己啓発のテキストを読んでいるような気になったところもありました。

少年が「僕の心は裏切り者です」と心の葛藤を打ち明ける部分が好きです。夢を追求することで得るもの、失うかもしれないもの、傷つくことを恐れる気持ち、勇気を奮い立たせる自分。少年には過酷だな、なんて思いながら自分にとっての砂漠は?オアシスは?と問いかけて、良心や正しい判断力が自らを助けることを学んで行く少年にいつのまにか感情移入していたかも知れません。

おとなの心に響く童話といったところでしょうか、どこかまぶしい。
<021108>




霧の都     ホープ・マーリーズ  船木 裕・訳

長い間積読本だった『指輪物語』を読んだのはお正月明けだった、そして今日『霧の都』を読み終えました。今年は私にとって、「ファンタジー元年」になったのかもしれません。

読み始めて少し戸惑った、読みなれないせいかなかなか進まないのです。
描かれている情景が美しく、間接的な表現が優美で(皮肉にも時にわかりにくくて)、思い描きながら文字をたどっていたせいでしょう。
でもそのテンポに慣れてくると、ははーん、これがファンタジーの魅力の一部とわかります。いつの間にかするりとその世界に入りこんでいる、その不思議さもファンタジーでした。
言葉が吟味されている印象で、翻訳も然り、苦労の跡が感じられます。格調高いです。

ドリメア国では、商人達が民衆を引き連れてそれまでの統治者オーブリ公爵に対し革命を起こし、結果国に貴族と司祭は消えてしまい、魔法や空想といったものがタブーとなって久しい。しかし、ドリメア国は「妖精の国」と隣り合っており、その国にはドリメア国には表立っては存在しない物が存在していた。

詩や幻想、芸術は堕落につながると信じ、法律を一番に重んじるドリメア国の判事であり市長でもあるサナニエルには生まれつきどこか夢見がちなラナルフという息子があった。この少年が「妖精の国」へ引き寄せられるように出かけてしまったことから、サナリエルがこの物語の中心人物となります。

固有名詞が可愛らしい、挿入されている古い歌の歌詞は夢見るよう、ことわざも誓いの言葉も詩的だし、自然の描写が特に美しいです。書き手に少しでも近づけるよう想像力を総動員して、楽しみながら読みました。

−"物言わぬ人"(つまり死者)がドリメア国に帰って来ると、謎と詩の断片でしか話せない−
こんなことをこんなふうに表現する発想が、すごいと思います、かなり気に入っているフレーズです。"物言わぬ人"は思い起こす人にだけ現れ、その人の心の詩的な部分に語りかけてくる、そんなふうに読みました。

ところでファンタジーといえば、空想、夢想、非現実、幻想、不思議、白日夢、などいろいろ思い浮かびますが、はっきりせず、ファンタジーに定義というものがあるだろうかと思っていた私に、本書の解説はすばらしい情報をくれました。
まず、ロウ・ファンタジーとハイ・ファンタジーという分類。
ロウ・ファンタジーは私達の日常生活に起こる超自然的現象を描いたもの、一方ハイ・ファンタジーはこの世ではない、作り上げられた別世界を舞台に語られている物語。
そして、ハイ・ファンタジーはさらに5つに分類できるそうです。
1、 遥か昔の物語
2、 遥か未来の物語
3、 異星の世界
4、 神話・伝説の世界
5、 架空の世界
とてもわかりやすくて納得、嬉しかったです。

『霧の都』も『指輪物語』も架空の世界を描いたハイ・ファンタジーということになります。

法と秩序を守る国に、"魔法の果実"がもたらされた。どんな本もそうですが、私は『霧の都』を充分に読みこなせているとは思えません、まさに題名のごとくその物語は霧にかすんでいるようです。でも又、折に触れ新しい気持ちで読んで見たい、魅力的な物語です。

Special thanks H2さん
カウンターの記念にプレゼントしていただいた、H2さんのファンタジー布教本でした。
<021020>






Veronika decides to die    Paulo Coelho

ヴェロニカが死のうと決めたわけは、毎日が同じことをくり返すだけの彼女の存在は無意味だと思ったからだった。しかし、彼女はある精神病院の一室で意識を取り戻す。
医師から、飲んだ薬の影響で心臓が弱っている為余命は長くて一週間と告げられ、死を望んでいるヴェロニカはそれを甘受したが、いくら死にたいと思っていても、すぐに死んでしまうのと一週間先に死ぬとわかってそれを待つのとではだいぶ違う。その一週間がこの本には書かれています。

ヴェロニカの他に三人の入院患者が描かれています。それぞれがどうしてそこへやってきたのかを読んでいると、どれもとてもわかり易い経緯をたどっていて、つまりちょっとしたきっかけで誰にでも起こり得る結果であるような予想が出来るのに対して、精神病院に関わること、関わった人に対する周囲の反応というのが、必要以上に意識され、差別的でありすぎるという事がわかります。
それが、病気は治ったにもかかわらずまだ病院に残りたがる「本当の患者ではない患者」を生み出すことは想像に易いことでした。

治療でゼドゥカ(Zedka)が経験するインシュリンショックや浮遊感覚(有体離脱感覚?)、元弁護士のマリ(Mari)が悩まされたパニック障害の様子などは細かく表現されていて、自分にも起こったとしたらと思うととても恐ろしかったし、親心の間違った愛の影響で、自分の進みたい道を歩めないエドゥアルド(Eduard)が追い詰められて行く過程は充分にありがちなこととして、やはり恐ろしく感じます。
ヴェロニカは病院にあって、投げ込まれて水面に波紋を広げる小石の役割となりました。

太陽がふりそそぎ人々が楽しそうに幸せそうに見える日ほど、それになじめずに苦しみを感じるという、うつ病だったゼドゥカの言葉が印象的でした。

ところで、私は間違いました。よく調べれば良いのに、パウロ・コエーリョはブラジル人作家のため原作はポルトガル語なんですね。原書と思いきや、何のことはなし翻訳本。
<021013>




姑獲鳥(うぶめ)の夏    京極夏彦

初京極堂です、京極さんの第一作目。古書、陰陽道、民俗学に精神医学、ユング、フロイト、古典文学、鬼子母神、それに密室殺人、まだまだ他にも…めまいがする程いろんな物が溢れています。周到に準備される導入部もさることながら、謎解きの部分に入ってからの長いこと、語り尽くせぬくらい綿密に縦糸横糸が張りめぐらされて、よーく練られたミステリーでした。
渾身の作品といえると思うのですが、次に続く作品群がさらに超長編らしいので驚きです。

ずいぶん前に電車の中で、箱のように分厚い本を読んでいる若い人が男女を問わずたくさんいて、「何を読んでいるのだろう?」と興味を持ったことがあったのですが、表紙を見ただけで何かおどろおどろしい世界を感じ取り手を出さずにいました。正直言って、苦手の分野だと思っていました。他に金田一耕助シリーズなども避けている部類です。
簡単に言うと「恐い」のは苦手なんですね。
ところが困った事にこの本は、読みはじめたらやめることが出来ないのです。「恐い」、だから読まずにいられない、そんな妙な感覚です。普通の本なら読んでいる時間を楽しんでいるのに、今回は先が気になって中途半端にすることが出来ず、殆ど一気に読み終えました。
単にミステリーを読みなれていないせいでしょう、でも、全然読んだことが無いわけではないので、これはやっぱり特別なんではないかという気がします。

「りん、と風鈴が鳴った」何度か出てきたフレーズですが、今思い出してもどきどきします。
<021007>





プロヴァンスの小さな家(サンセット・ハウス物語)
             レディ・フォーテスキュー 尾島恵子・訳

「プロヴァンスの青い空と海」に続く作品です。著者夫妻はフランスの暖かな地で老後を暮らそうと考えていましたが、ご主人は4年ほどで他界されました。想い出の家で悲しみに暮れるばかりでなく、著者がもう一度前を向いて歩み出す足がかりになったのは、サンセット・ハウスと彼女が名づけた新しい家だったのかも知れません。この本は夫亡きあと作者がこの家を買いとって、住み心地の良い居場所に作り上げて行く間の出来事などが記されています。
前作より筆が冴えているという印象を受けました、テンポがとても良いのです。

人がそれぞれの心境や家族構成、生活のスタイルに合わせて家を住み替えるという習慣は日本ではなかなか根付かない感がありますが、そんなふうに暮らせるなら、私もしてみたいと思います。新築の家を建てるのも良いのですが、センスがあったら、この本にあるように古い家の良いところを生かしながら自分らしい家作りをすることは、自分を振り返る機会にもなると思いました。

改築中、息抜きと静養を兼ねて、友人と海辺で質素な借り住まいをした著者は「家具や財産に支配されるほどばからしい人生はない」と呟いています。羊飼いの妻が、夫の帰宅は遠くからでもベルの音や羊の鳴き声が知らせてくれると言ったのを聞いて、著者はうらやましいと書いていました。また、何か手仕事をしていても手元が暗くなって、もう続けられないと思ったら、そこまでで仕事を終えるというようなとても自然に沿った生き方に魅力を感じていることは確かです。
そういう著者が、ある意味妥協せずゆっくり時間をかけて、さまざまな人に力を借りながら家作りをする過程が、とても豊かな気持ちにさせてくれました。困ったことも、腹の立つことも起こるのですが、そんなことも含めて満ち足りた日常だなと思えたのです。心がけ一つで、誰でもその心の安らかさは得られるかもしれないという気にさえなりました。
<021002>




プロヴァンスの青い空と海  レディ・フォーテスキュー 尾島恵子・訳

肥沃な土地に住む人々は、「食べる」という生きる為の必要条件が基本的に満たされていると思います。暖かければ「着る」という必要も。そういう土地に住む人々がおおらかなのは自然なことだと、うなずけます。
お話は著者レディ・ フォーテスキューと夫のサー・フォーテスキューが、プロヴァンスとはだいぶ違った土地柄のイギリスから移り住んできた時から始まっています。

最初のエピソードは、ご近所の結婚式にまつわる騒動ですが、この後夫妻が巻き込まれ、体験する数々の出来事が、さぞや話題に富んでいることだろうと想像させます。イギリスのそれも貴族の称号を与えられている夫妻が、よくもここまで土地になじみ、その生活を楽しむまでになったこと、と感心しました。育ちの良い、やわらかな気持ちを持った著者達だったのだろうと思います。
「プロヴァンスに必要なのは、ユーモアと忍耐力」と著者が言っています。そのコツをしっかり身につけたレディ・ フォーテスキューが持ち前の好奇心や冒険心、豊かな感受性でまわりの日常を観察し書き記している書で、とても自然な筆致です。次へ次へと読めてしまい、楽しめました。

チュリップが自生するという話は驚きました。まめの種播きは上弦の月の時期にという庭師の言葉にも驚きました。蜜蜂に国民性を見出そうとするくだりには大笑い。愛車に名前をつけることくらいは真似をしたいと思いました。
<021001>





コンスタンティノープルの渡し守  塩野七生・作  司 修・絵



塩野さんの2冊目の絵本。
表紙にある赤と白の旗は、コンスタンティノープルの印なのでしょうか。
現在イスタンブールと呼ばれるその場所も、充分魅惑的なところですが、コンスタンティノープルという言葉の響きは格別だと、私は思っています。

コンスタンティノープルはジェノバ、ヴェネツィア、ベイルート、エジプトといった異文化の世界と繋がっている。
トルコのスルタンやイスラム文化、夕日の美しい金角湾、貿易商人やガレー船、それらの物がエキゾチックな雰囲気を作り出している。
テオと呼ばれる少年はコンスタンティノープルの渡し守、たくさんの人を舟に乗せ金角湾を行き来する毎日だ。
物語はその少年と舟で知り合ったギリシャの少女ロクサーナの淡い恋と、そのはかない終わりを描いています。白い野の百合はロクサーナの花。
<020930>




漁夫マルコの見た夢  塩野七生・作  水田秀穂・絵

塩野七生さんの作品の中に2冊の絵本があることを知って、探してみました。どちらも絶版なので、図書館へ。
「子供の本」として手渡されましたが、そうなんでしょうか?
TBSブリタニカの現代作家ファンタジーシリーズです。



ヴェネツィアの沖にある細長い島リドに漁夫のマルコは母と二人で住んでいる。ある日マルコは漁師の生活とは別世界のヴェネツィアの貴族の家でたった一晩、夢のような時を過ごしたのだった。大人への一歩を踏み出したマルコ。
ここに登場のダンドロ家は、塩野さんの著書『緋色のヴェネツィア』にも出て来る塩野さん創作の貴族の名家と同名であり、マルコは「サン・マルコ大聖堂」でもわかるように、ヴェネツィアにあっては代表的な名前のようです。
夢物語のようであり、ありそうな話でもあって。
<020930>




停電の夜に  ジュンパ・ラヒリ  小川高義・訳

新潮社のクレストブックス。サイズも装丁もペーパーバックのようで、私的には好感度が高い。ところが私の思いこみで、読み始めてから短編集だとわかりました。わかっていたら読まなかったのかといえばそうではありません。この題名が好きです。表題作「停電の夜に」のほか8編。

現在ニューヨーク在住の著者のジュンパ・ラヒリはロンドン生まれ。カルカッタ出身のベンガル人の両親とともに幼少時に渡米したそうで実際には住んだことはないらしいが、インドは心が帰ってゆくところなのかもしれない。インドへの愛情が全体に感じられます。

「停電の夜に」
シュクマールとショーバは若い夫婦、気持ちが行き違ってきつつある。その上子供を死産したことが互いにわだかまっているのに、その話題を口に出せずにいる。悩みが状況を悪くしているのだ。停電の夜に二人はかくしていたことを一つづつ打ち明けるという形で久しぶりに会話する。
二人の関係が終わった瞬間、結果として話した真実。皮肉にもその真実でシュクマールとショーバはやっと二人で泣けた、開放されたと言っても良い。けれど、二人の間は壊れていて。

「ピルザダさんが食事に来たころ」
子供もいろいろ考えている、大人と違うやり方で。祖国と家族を想うピルザダさんの様子を見ながら、少女が1歩2歩と成長していく。

「病気の通訳」
インドを旅するアメリカ人家族とガイドカパーシーの一日。「言葉にしたことの意味」というフレーズが心に残っている。そうか、言葉は声や文字で表現された瞬間意味を持つのか。

「本物の門番」
悲しい。門番とはていの良い呼び名。軒を借りる代りにアパートの掃除などをしているプーリー・マー、どこへいくんだろう。またどこかで門番になったんだろうか。

「セクシー」
独白形式、主人公の心の動きをたどってゆくような小説、心理描写が好きだった。

「セン夫人の家」
11歳の少年の目で語っているのに、大人の女性(セン夫人)の心がよく見えるのが不思議だった。子供は日ごとに、何からでも必要なものを吸収して成長しているんだと思う。

全体に子供が良く出て来る短編集だ。子供との会話というのはどこかひとりごとに近いものがあると思います。しかも子供は時に的を得たするどい返事や質問をすることがあって、どぎまぎさせられたり避けていた事実を見ざるを得なくなったりするわけで、小説のスパイスに効果的。

「神の恵みの家」
これで、この夫婦はこのままやってゆくというのだろうか?そんなことを思いながら読んでいた、それなりに?…いやこれで結構うまくゆく?等と。

「ビビ・ハルダーの治療」
ビビの病気を治したのは、我が子を持ったことだった。話の中に荒療治として結婚することというのがあったけれど、近いようで全然違う、依存ではなく自立ってことだからだ。ビビはどっこい生きている。

「3度目で最後の大陸」
一番好きな一編。
一味違う、終盤にむけてファンファーレが鳴るような、人生を歌い上げるような力強さ、確信を感じる作品だった。

今度は長編を読ませてほしい、切に願う作家です。
<020924>



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